わかってもらえぬアカシジア。
アカシジアの苦痛は一般的な健常者には理解しがたい症状です。
アカシジアばりばり出ていた時、実家にて階段を昇り降りするわたしに母が
怖そうに「お薬、変えてもらったらぁ~(おろおろ)」と言うのが精いっぱい。
また前夫さんは「内省的なものだと思います」医師「そうよねぇ~♪」と
話してるのを聞いてわたしは絶望しました。そうじゃないんだ。近くに居ながらにして
わからぬひとと生活していることにまず絶望。そして失望。
わたしは再婚をしました。現夫はアカシジアをほぼ理解しています。現在服用している
お薬で「ロドピン」と正式名称がわかった時点で薬局から医院へとって返し医師に話を
伺いに行ったくらいでして、その迅速な行動に感銘を受けました。感謝です。
打てば響く夫に出会えて運命的に嬉しいです。
さて現在はお薬も進化してわたしはアカシジアを出すのは「クラシックタイプ」の
ロドピンであるらしいです。今現在の新しいバージョンは悪さをしません。
医師も理解の上、使用したらしいです。アカシジア、アカシジアと声をはりあげなくと
も済む時代になりました。よ、よかったぁ。助かった。お薬の開発者さま感謝いたしま
す。これからもわたしたち患者が飲みたいお薬をどうかお願いいたします。
初めての入院とアカシジア。
入院生活もほどなくしてそれは訪れました。
「か、身体が震える」自己制御はできません。
そのまま横になっていられればいいのですがアレって「座れない」と言いますね。
着席をキープできない状態。身体が微妙に振動して気持ちが悪い。
心臓が飛びでそうになる時もありました。
16歳のわたしはそれを表現するすべを知りません。
のちに診断書を見る機会があり「アカシジア」という名称を知りました。
お薬手帳の副作用を書く欄にロドピンのクラッシックタイプを服用すると
アカシジアが出る、と記入しています。
わたしが10代の頃はお薬手帳すらありませんでした。
しかも医師や看護婦からアカシジアを無いことにされていました。
「また観音崎さん、状態崩してるわ」その程度の認識だった、と思います。
早くこんな環境から脱出したい。退院は当時両親に訴えて実現した、と思います。
ノートに書く字が左手で書いたような大きく震えた字になって
しかも1分に1文字程度書けるかな、という感じだったので
わたしはその春、高校を中退しました。学業どころの状態ではありませんでした。
両親は通信制高校を薦めてきましたが取り寄せた書類に「スクーリング」という
文字を見て抵抗を感じたわたしはそこで思考停止。
「どこへも行けない」17歳で行き詰まりを思いました。手詰まりです。
初めての入院生活は病棟最年少、という立場でそれなりに可愛がってもらえた
けれどもそんなの最初のうちだけでやがて身の回りのことが何にもできないのを
知られていくと呆れられるようになり、チクチクいじめられたりもしました。
昭和のあの頃。わたしは初めてだらけで世の中の片隅に吹き寄せられたのでした。
私の16歳。
16歳はわたしにとって重要な年齢でした。
次々おない年の女の子たちが芸能界デビューを果たし、
わたしは日常であがいていました。
高校はギリギリのところで男子校を選び(工業デザイン科・男女半々)
母の後輩にあたる高校だとのちの人生で分かり、どでびっくり!
(とてもびっくりした・のお国訛り)
道理で近所の奥様が「蛙の子は蛙ですね」とおっしゃられたんですな。
ここのタイトルは深い意味はさほど無くフィーリングでつけました。
わたしの16歳は精神科・初入院をした年齢であります。
両親からの無理解によりわたしは「変わった子」という烙印を押されました。
表現場所があれば精神の均衡は保たれたかもしれません。
ですが、排他的な田舎育ち。
家の近所に国立の療養所がありしかも中学の学区内。
入院して通された部屋の格子越しに中学の友人のご自宅が見えたものです。
「国立の病院のお薬を飲むとすごくイイの!」父方の叔母がおっしゃいます。
彼女には合っていたのでしょう。
んがしかしわたしの初入院は副作用アカシジアで苦しみました。
来るときは突然でランダムにそれは襲ってきます。
解消法は「ひたすら歩く」座ってなどいられないのです。
あの頃は清掃の職員さんのお邪魔をしてごめんなさい。とても苦しかったのです。
「精神的な壁・ひらりと飛んで虹」はこうして再開しました。
次回はアカシジアについて掘り下げたいと考えています。
危機管理・Web上に拠点を置いて。
体重の管理はWeb上で出来ている。あとはつべこべ言わずに流れに任せよう。
だいたい現在の数値で大まかに観て、ばんばんざいなのだ。
これ以上望んだら健康を失いそうで怖い。
栄養をしっかり摂って(野菜中心にね)たんぱく質も選ぼう。
しゃんしゃんと歩ける体力を持とう。それには日々のウォーキング。
歩数もWeb上に記録している。地元を出発し東京に向けてバーチャルなわたしが
今住む街へ歩いている。記録・記録・反省のまいにち。
混乱しそうな時はメモをとろう。文字に起こすのは冷静なわたしの開始地点。
あとは幸福に向かって歩こう。楽しい未来を描いて明日も生きるのだ。
絞れた体脂肪。
数値に変化がありました!
体脂肪率の減少です。特に何を気を付けたとはありません。
ただ、寝る前3時間は食べずに就寝したことのみです。
考えられるのはその一点でした。
体脂肪はどのくらい体形に反映するものなのか。
身体の内という未知の領域。内側が整頓されたのでしょうか。
このところ体脂肪は30%にのぼること多しで
28%を見た今朝はとても嬉しかったのでした。
数字を気にしすぎる、これは言ってみれば
「あまり褒められたものじゃない傾向」です。
一喜一憂の愚かさ。くだらなさ。
梅雨も明けてウォーキングに精を出せ、わたし!
体重を減らさなければ大成功とは言えないのだよ。
絞れた体脂肪。確実に栄養バランスを考え健康的に体重が落ちるように
持っていくのが王道じゃろ!?
喝!
数字ゲームに踊らされるな。健康長寿を目指して歩け。
頓挫するダイエット。
頓挫いたしました。ネットスーパーにて加糖のアイスコーヒーを
まとめ買いしちゃって(もちろん間違い・あちゃー)その責任をわたしが
いや微糖モノは我が家でわたしのみが飲める人間だから、です。
いずれ、ダイエットは宙ぶらりん。いえいえ、必ず復帰いたしますことよ!
あと1本!あと1本。ボトルの数は無くなりつつあります。
もともとブラックを好むタイプなので日常ブラックホットコーヒーを
つくって淹れて飲んでいます。ブラックにいつでも戻れますことよ!
過激なリバウンドを想定して怖いもの無しにしておかないとね。
なんたって70キロ近い花嫁だった前の結婚時。あれは最悪でした。
わたしの黒歴史。さよならできて今はHappy♡
頓挫するダイエット。
頓挫いたしました。ネットスーパーにて加糖のアイスコーヒーを
まとめ買いしちゃって(もちろん間違い・あちゃー)その責任をわたしが
いや微糖モノは我が家でわたしのみが飲める人間だから、です。
いずれ、ダイエットは宙ぶらりん。いえいえ、必ず復帰いたしますことよ!
あと1本!あと1本。ボトルの数は無くなりつつあります。
もともとブラックを好むタイプなので日常ブラックホットコーヒーを
つくって淹れて飲んでいます。ブラックにいつでも戻れますことよ!
過激なリバウンドを想定して怖いもの無しにしておかないとね。
なんたって70キロ近い花嫁だった前の結婚時。あれは最悪でした。
わたしの黒歴史。さよならできて今はHappy♡
いちにち30品目を毎日まいにち。
ダイエットや健康に関して食で出来るスタンダードは「一日30品目をまいにち」という
忙しい主婦や主夫には到底萌えない情報だと思う。テレビ番組の目玉にならないし視聴
率も冴えないだろう。ただ基本的なところを押さえてきた我が家の夫と妻は風邪知らず
だ。切ってきた野菜のぶんだけ健康になったのだろうと考える。野菜・野菜・野菜。オ
ンパレード。これで睡眠をじゅうぶん摂ったら鬼に金棒。大学時代から夫はこまめに野
菜のおかずを作っていた、という。菓子パンなどに逃げないしなやかさの精神がそこに
ある。ダイエットしているわたしも大いに見習いたい美点だ。
体脂肪ちゃんご用心。
た、体脂肪が、かつてないほどの伸びを見せています。
伸びなくともいいんだよ、キミは。
体脂肪計を購入して使用して以来の最高値。
30,0%ってどうよ。吃驚。
た、体脂肪はどうやって減らすものだっけ。運動? 減食?
どちらもこれ以上は無理すぎる。
夕方にフラフラになる、ってゆーのにさ。
昨日はお風呂に入っていて湯上りにパジャマを着かけていて悲しくなって泣いたよ。
すすり泣く声を聞き駆けつけた夫はせっかくの一日のお楽しみ晩酌タイムなのに
着替えを手伝ってくれた。
ごめんね、そしてありがとう。
かかとに椿油を塗ってくれて「今出来てることに視点を置こう。苺は
薬も飲まずに飛び出して行った時は死ぬんじゃないかと心配だった。
今はこうして動けてることが奇跡だと僕は思う」静かに言った夫。
体脂肪がどうのこうの言える状況、それ自体が贅沢な悩み。
わたしはわたしを粗末にしていた。
「思えばあの時、苺を僕が入院させるのがベストだったんだね」
そうとも言う。飛び出した先で妹の手をわずらわせずに、そういうやり方もあった。
ただ、あの頃夫が単独で暮らしていたからこその今のお仕事に就けたことは否めない。
わたしの存在が東京にあったら今の夫の仕事に取り組めなかっただろう。
すべて成るように成る。体脂肪の上昇がもたらしたことなど小さい・小さい。
涙を拭いて進もう。
体脂肪は精いっぱいの柔軟で逃そう。