しゃくなげが咲く。
公園散歩でしゃくなげの花を見た。
しゃくなげは初夏のイメージだ。桜やハナズオウと平行して咲く印象は薄い。
花は前もって準備していてあとは咲くばかりになっている。
わたしの家事分担は前もって、が弱い。
ボロボロとりこぼし、忘れていることのオンパレードだ。
昨日も買い物メモに記しておくべき食材を彼のチェックで気がついた。
あれもこれも買い忘れたら我が家は回らない。
気のつくパートナーで本当に助かっている。
4月上旬にわたしは誕生日を迎えた。
誕生日前後に家事の感覚を取り戻したことから、気運は高まっていたのだろう。
家事は分担になった。「分担と言えるよね?」と聞いたら「うん」と彼は答えた。
何より帰宅して朝食の野菜切りや洗濯が終わっていることが本当に大きいと言う。
帰り着いてからそれらに着手しなければならないのは
大きな負担だった、と言う。今ではわたしが大方それらを片付けられる。
初夏はわたしの季節だ。名前にそういう思いがこめられている名づけをされた。
シチューを食べました。
「うまい!」彼の嬉しそうな声が聞けました。
昨日つくった充実シチューは大成功。
火に鍋をかける際にとろけるチーズを入れてコクを出してみました。
薄味になっちゃったかなぁと心配するも杞憂でした。
ちゃんとシチューの味がしました。
彼は仕事から帰ってきてなにはなくとも食事に入れる幸せを
噛み締めているようです。ごめんね、今まで。苺は復活したよ。
仕事と家事の両立は容易なことじゃなかったね。感謝してます。
充実シチューづくり。
明日の休日ごはんのためにシチューをつくりました。
昨年の4月にカレーをつくって以来の料理となります。
それくらいコンロから遠ざかっていたのでした。
あ、冬場に八宝菜は彼の監修付きでつくったかな。
まぁ、ひとりきりの料理はカレー以来です。
材料を揃えて煮込むまではうまくいっていました。
顆粒状のシチュールーを振り入れるあたりでこぼす・こぼす。
これでは彼のOKは出ません。
わたしは完成した鍋をよけて掃除をしなければ、と緊張が走ります。
また箱の分量の半分でつくり始めたために、水の量、牛乳の量を
計るのに神経を使いました。最初から箱全体を使えば良かったなぁと
考えるも後の祭りです。
さて、完成しました。
味見して「ん?なんだか水っぽい」そう、まだルーが必要だったのです。
振り入れる・振り入れるを繰り返し、継ぎ足して味見して
やっとシチューの体裁が整ってまいりました。とろみをつけて火を止め、
たった今、換気のために細く開けた窓を閉めました。
今日は雨ですね。
稼がせていただいている彼は勇んで仕事へ向かったようです。
ハングアウトの調子が静かに前のめりな感じでした。
写真はおととしの春、多摩川を神奈川県側から下って歩いたときのものです。
2時間歩いてもどこまで歩いても雪柳が植わっていました。
4月1日。ゆきやなぎに迎えられるわたしたち。
まだこの頃はどこまでも歩ける脚力・体力に恵まれていました。
この頃は料理筋肉も衰えていなかった。
今朝のひさびさのお料理チャレンジは楽しくおドジでマイペースで
何せ時間などの制限もなく自由につくれたので充実していました。
本来、そうであるべきなのに、どうして尻込みしてしまうんだろう。
明日はシチューにトーストで朝食かな。
楽しんでつくりました。心は二重丸でしたっっ。
「またできるようになります」
ツイッターに「持病があっても幸せに暮らす.bot」があります。
ある時いいなぁとリツイートした「またできるようになります。」というツイートが
大変染みこんで実感しているこの頃です。
わたしは去年5月に派手に転んでそのあとムチウチになりその後生活は
彼からの介助を受けながらになりました。
自分でラップも切れない非力になりました。
ところが、この春家事に復帰して気がついたのですが、
ラップが普通に切れるようになっていました。
明らかに「またできるようになります」の言葉通り!
機は熟したのでしょう。
日が長くなるにつれ、できることが増えてきました。
今ではまかせっきりだった家事を分担するまでになりました。
彼に長いこと頼っていた自分が情けないです。
ありがとう、彼。
そしてよくぞ今月まで倒れずに頑張ってくれました。
桜はまだ散ってないようですね。
今度の休日の金曜まで残っていて欲しいな。
ふたりで昼間の桜を見上げましょう。
一日ぶんの野菜切りを終えて、手がかさかさになりました。
何、ちょっとクリームを薄く塗っておけば治ります。
退院して転んで家事を全部まかせちゃって本当にごめんなさい。
よくやってくれました。ありがとう。
だんだんに食事の準備にも戻れるようになりますね。
身体を動かさなくちゃ。
離れていると忘れちゃう。
またできるようになります。の言葉は光明でした。
いじめっこ。
わたしは中学へそれまでの小学校から転校して入ったので、
いじめがはじまったのは中学からになります。
下ネタがわかってしまうのですよね、で、ついうっかり笑っちゃうと
「こいつ、やらしい」といじめのターゲット決定です。
言葉にビビッドだと判ってくれる子は大人なのでいじめはしてこないのですが、
幼い男子は本当にダメでした。
まさに「にゃーにゃー」言いながらいじめてくるのです。
中学を卒業してやっといじめの終焉を迎えたときは心の底から嬉しかったです。
40代も終わりごろ、同級生の女の子と話す機会があり、
「○○部のKくん、自殺で亡くなったそうだよ」という話を聞きました。
詳しくは知らないのですが、いじめっこの最たる者だったKくんが
そういう最期だったことにわたしはショックを受けました。
ああ、だから黒いエネルギーで生きてはいけないんだ、と思いました。
Kくんは親御さんに幸せな道を歩むように名づけたのだろうなという
漢字の使い方をした名前でご両親もさぞ無念だったことでしょう。
その日からわたしの祈りのシーンでKくんへの想いも浮かぶようになりました。
死の線を越えてしまった瞬間のKくんへの祈り。
いじめられたことはそれはそれとして昇華できました。
同時に祈りに想いがこもった瞬間でした。
シアワセのとらえかた。
もうコップにこれだけの水しかないだの
掃除力に頑張るだの
シアワセのとらえかたはいろいろ研究してきました。
参考にしたのは、李家幽竹さんの「恋愛風水」です。
風水って基本、掃除じゃないですか。
この本はファッションから入っているので読みやすかったです。
当時、ピンクやオレンジ系の服を買って身につけるのがマイブームでした。
古着で揃えるのでお金はそうかかりませんでした。
身につけるもので風水???というかたは古本屋などで
手にしてパラパラとめくって見てください。
女性らしい気持ちになれたのでわたしの場合は即採用・活用しました♪
作者の李家さんは一度テレビでお見かけしました。
ふっくらとされていて幸せそうなお顔です。
そのようなところも高感度高し、でした。
やらない星人。
わたしはすぐ忘れて物事をやらない癖があります。
彼に指摘されて「はっ!忘れてた」ということが多いため、
「苺はほとんどの場合やらない方向で居るよね」と
やらない星からきた「やらない星人」だね、と言われています。
そこで気がついたのですが、これって発達障害が入ってなくない?
思えば親友だと思っていた中学当時のクラスメイトに
「なんて人かと思った」とわたしの気がつかなさを責められたことがあります。
悪意はなくて、ただ気がつかないだけなのです。わかっていて忘れることは
ないのです。その場では本当に「すっこん☆」と抜けている。
勿論だいじな友達ですから気づいていたら完全な配慮をします。
一緒に学級新聞を作ったときの充実ぶりはわたしが字を書き、
彼女が文を作成し記事に入るだけの字数を数え、そのための原稿用紙を
先生にもらおうね、などいろいろな工夫をして楽しかったのでした。
頭の出来が(勉強力)同等の彼女だったので、ツーといえばカーでした。
さて、やらない星人だと命名した彼。
彼との頭の出来は月とすっぽんくらい(わたしがすっぽんデス)違うので
(でも苺は地アタマがいいよね、とは言う)
地アタマは悪くないのに僕の言ったことを忘れるやらない星人だ、と嘆き
実際言い渡したことをやってないわたしに深く脱力すると言います。
彼の完全主義には舌を巻くわたしですがわたしは彼を悲しませたくはない。
なんとかついてゆきたい。
発達障害かもしれない、と逃げるようなこともしたくはありません。
しかし勉強してみる余地はあります。
さて、どこから手をつけましょうか。
あのう、今の時点でわたしは何か忘れてないですか?
感情。
感情の置き場について考察してみようと思います。
まだ幼い頃から感情を爆発させては、祖父や父母に叱られる、
その繰り返しでした。
その頃はハサミが上手く使えない、で、イライラする。
祖父は「ゆっくりやってみなさい」普通こう言いますよね。
でも鬼の子は頭が煮えているので冷静にはいかないわけです。
「おじいちゃんがやってほしい」と心の中で思います。
ますます曲がる紙の切れ端。ああ、その頃は幼児雑誌のふろくなどに
切り取らなければ遊べないもののオンパレードでした。
よく読めば「おとうさん・おかあさんに切ってもらってね」
そうも書かれていたのかもしれません。
父などは「まーた雑誌か」と雑誌の企画のスタンスにまでぶつぶつ言っていました。
険悪になる、実家の一隅。すべては不器用であるわたしの感情の爆発が
家族のそっぽを向かせるのですが、小さな頃は「ごめんなさい」が言えず
(大きくなってもそうだ・たった今気づきました)
やがては泣き疲れて(怒り疲れて?)自体は収束するのですが、
大抵、昼寝になだれこんで終わったような気がします。
鬼の子も一度眠っておやつでも食べればケロッとします。
わたしの怒りポイントは変わってないのだなぁ、まさに三つ子の魂百までも、です。
祖父の怒り顔・父の苦虫顔の記憶は鮮明です。
二人ともとうの昔に他界しているので、謝りたくても謝れないのでした。
そんな鬼籍に入るみんながわたしを生き長らえさせてくれているのだ、と
脳内出血で倒れた経験から考えます。
「まだこちらへ来なくてもいい」「修行してこい」「性格を直せ」
たぶん、そのような理由で。
わたしはすぐ頭が煮えます。感情が爆発すると無茶苦茶な行動に出ます。
それを現在押える係は夫=彼になるのだろうなぁ。
彼しかいないものね。物理的にも、心理的にも。
冷静沈着な彼。まさにパートナーとして「うってつけ」
鉄は熱いうちに打て。
おじいちゃん。おとうさん。観音崎苺は夫のもとで身体に気をつけながら
仲良く楽しく修行してきますね。
「欲」の話。
今年ちょうど50歳になるわたしですが、欲の話。
物欲はまだしもあちらのほうの欲です、みんな照れて冗談にさえする
あちらの「欲」の話をしたいと思います。
わたしは女性としてまだまだ機能するようです。出産は一度はしてみたかったなぁ、と
思わないでもないのですが、育児はどうだろう、学校を追体験しなければならない、
公園デビューなど考えるともう意識の中では「手も足も出ないだるまさん状態」で、
代理母制度があれば乗ったかもしれません。なにせ自転車で公道を走れないので、
送り迎えに子供とふたり乗りなど、考えただけでも怖いのでした。
免許など、家族じゅうに泣いて止められるほど向いてなかったりします。
命を新たにこの世に生み出すとは、わたしの人生では
到底考えられなかったことです。
半世紀も生きようとして、あちらの欲がおさまってきて
月経前症候群などに振り回されることも減り、
穏やかな日々を暮らせるようになったことに、心から安堵の溜息をついています。
月経など終わってもかまわない、と考えているのに、
今年に入ってからそれはもう規則正しくおいでになって
まぁデトックスになるからいいかぁ、と考え直して受け入れています。
若いときの重たい感じは取れて、年相応の軽さを感じます。
衝動で動かなくなったのは良かったと考えています。
このまま放っておけばますますスローダウンしていくのでしょう。
自分が枯れたなぁと思ったりはしません。
むしろどんどん子供っぽさが目立つようで恥ずかしいくらいです。
年をとっても素敵に生きてらっしゃる先輩を何人か知っています。
みなさん、豊かで綺麗です。
わたしの目の前を歩いてくださってありがとうございます。
みなさんを見失わないわたしで居たいですね。