感情。
感情の置き場について考察してみようと思います。
まだ幼い頃から感情を爆発させては、祖父や父母に叱られる、
その繰り返しでした。
その頃はハサミが上手く使えない、で、イライラする。
祖父は「ゆっくりやってみなさい」普通こう言いますよね。
でも鬼の子は頭が煮えているので冷静にはいかないわけです。
「おじいちゃんがやってほしい」と心の中で思います。
ますます曲がる紙の切れ端。ああ、その頃は幼児雑誌のふろくなどに
切り取らなければ遊べないもののオンパレードでした。
よく読めば「おとうさん・おかあさんに切ってもらってね」
そうも書かれていたのかもしれません。
父などは「まーた雑誌か」と雑誌の企画のスタンスにまでぶつぶつ言っていました。
険悪になる、実家の一隅。すべては不器用であるわたしの感情の爆発が
家族のそっぽを向かせるのですが、小さな頃は「ごめんなさい」が言えず
(大きくなってもそうだ・たった今気づきました)
やがては泣き疲れて(怒り疲れて?)自体は収束するのですが、
大抵、昼寝になだれこんで終わったような気がします。
鬼の子も一度眠っておやつでも食べればケロッとします。
わたしの怒りポイントは変わってないのだなぁ、まさに三つ子の魂百までも、です。
祖父の怒り顔・父の苦虫顔の記憶は鮮明です。
二人ともとうの昔に他界しているので、謝りたくても謝れないのでした。
そんな鬼籍に入るみんながわたしを生き長らえさせてくれているのだ、と
脳内出血で倒れた経験から考えます。
「まだこちらへ来なくてもいい」「修行してこい」「性格を直せ」
たぶん、そのような理由で。
わたしはすぐ頭が煮えます。感情が爆発すると無茶苦茶な行動に出ます。
それを現在押える係は夫=彼になるのだろうなぁ。
彼しかいないものね。物理的にも、心理的にも。
冷静沈着な彼。まさにパートナーとして「うってつけ」
鉄は熱いうちに打て。
おじいちゃん。おとうさん。観音崎苺は夫のもとで身体に気をつけながら
仲良く楽しく修行してきますね。