ロマンティックがとまらない
誰か、ロマンティック、止めて、ロマンティック。
詩のブログを立ち上げたときに批判のコメントや
批判の詩を寄せられたことがある。
詩と言う形式で批判めいたものに気がついた時に
「むむ、出来るこやつ」とは思った。
もうそれらはわたしの中で時効だ。
しかしなぜ今更思い出して書いているかというと
ドラマの「時効警察」を視聴しているためかと思う。
趣味でかの事件を洗いだす時効警察。
オダジョーではなく三日月さんのキャラにどちらかというと重ねやすい
わたしは批判詩に怯えまくった。
今ならわかる。批判詩が彼女の(女性だった)こちらに投影した
彼女自身だったということも。
わたしは年齢を明かして彼女たち(リンクさんたち)にどよめかれた。
年下だとばかり思っていましたー!というようなことを驚かれたのだ。
砂糖菓子みたいな詩は攻撃に遭いやすい。
「こんなものは詩ではない」という一刀両断タイプの批判も受けた。
コメント欄を閉じたのはいろいろなことを自由に言われるのが
辛すぎたからである。そして今も閉じつづけている。
真に受けなければいいのだろう。
流してしまえばいいのだろう。
詩はノートでも描ける。
他のブログにだって描ける。
わたしで完結した場所ではあるが、確保してある。
統合失調症だから束ねられないのか。
だからといってロマンやポエムに逃避(しているわけではない)
するかのように見えるのだろうな…
許してやったらどうや↑
わたしもいつまでも昔にすがってないでもっと気楽に書こうっと。