存在の耐えられないいけなさ。
共振動していた男の子がいた。
ほら、見ている。物欲しそうに。ほら、また。
見ないで。断ったりしたら気持ちを傷つけたら何をされるかわからない。
彼はわたしの手紙によく登場するストーカーくんを
「それでも苺は共振動してるんだよ」と評した。
ストーカーくんにあるもの・わたしにあるものが振動しているだけなんだ、って。
あるときストーカーくんの声を聞いた。そのひとは開放病棟にいて
わたしは閉鎖病棟だ。いつも迷惑してるのはガラス越しの執拗な視線。
普段声を聞く機会はない。それがお腹に力の入っていない甘え声だった。
彼と共有できる思い出に「ポピーの花摘みを行います~…」の葛西臨海公園での
なんとも力ないアナウンスがある。あれにそっくりだ。
わたしは何か?ストーカーくんに期待していた節があったのか?
共振動と表した彼をうらめしく思ったことも氷解した。
存在の耐えられないいけなさ。
それはわたし自身だ。
世界は鏡。壊しにかかりたいものが映っても壊せない。
壊しにかかると心の病気になるようですよ。