村上春樹の小説的な日常の丁寧さ。
村上春樹著「海辺のカフカ」に登場するある出来事で知能のほとんどを失くした
ナカタ老人。(知事さんにホジョをいただいて暮らしております)のナカタさん。
彼が近隣の人々に良い感情をもたれていたのは元々の礼儀正しさを含む
日々の身じまいのこまめさだった。洗濯・着替え・入浴好きと描かれていた。
ムラカミハルキの小説にはそういった日常のルーティンを粛々と行う主人公や
登場人物が多く描かれている。意思を持ち入浴をしてひげをそり部屋の掃除をし
スパゲティを茹でる。一般の小説では省かれがちな
ごく日常の行動を綿密に書いてみせる。
そのような文章がこちらの頭の中をただ吹き過ぎていくのが当時心地よかった。
スピ的にいうと身じまいを淡々としっかり済ませていくことが
ちょうど宇宙の信号にのっとったことのような気がする。
時々ふと不思議とここだけは片づけたくて時間を割いてまで片づけた、
などということが知らないうちに(うまれる前に)決めた
自分の人生メニューに旨みを加えるスパイスになるのだろう。
日常のどんな些細なこともそれからの自分のシフト先を選べるのだから。
悲しさに暮れて布団から起き上がれなくなった私は
精神科の閉鎖病棟への入院となりました。高校生だった私はそのような
世界が存在することに大変驚きました。
これも自分の行く先を選んだことになります。
では日常をコツコツ積み上げていきそこにあるがまま受け容れていくことをすると
行き着く先は……やはり丁寧な世界の薫りがしています。