精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

Feel Happy 原田真二

わたしの初めて買ったレコードは原田真二さんのアルバム、

Feel Happyだった。

当時、小学生だったわたしはレコード店に行くのも気後れし、

町の友達に頼みこんで買ってきてもらった。

お金はお年玉だ。

 

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お年玉の使い道としては初めて役立った、と思う。

アルバムの他にシングルも数枚買った。

大好きなタイムトラベルは3枚。

ステレオはまだ無かったので、赤いカバーの

子どもが使うようなプレイヤーでかけて聴いた。

 

あれから40年。真二さんは今も活動なさっている。

20年前にはクリスマスライブが故郷の地元で行われ、妹を伴って行った。

「Happyを感じる」真二さんの指針は今もわたしたちの心に生きています。

冬将軍には、待ってもらって。

心の開き方がわからない。

わからないままでいいような気がしている。

「こうやるんだよ」とアドバイスを貰うことでは

ないと思う。スピリチュアルなバイアスは要らない。

 

委ねる、って何だろう。

そう、やすやすと心は委ねられない。

無我夢中・暗中模索。

ここから出なければ傷つけられることもないだろう。

 

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にゃあ。斬新ちゃん。公園の猫だ。

その牛柄のお顔の奇抜さに「斬新だ!」と命名。

彼(彼女?)の性格は必死なまでに愛嬌をふりまくので、

知り合ってから5年+αの野良猫にしてはご長寿だ。

 

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夫は言った。「この公園はよく出来ているよ」東京じゅうタクシーで

走る彼は休憩の折に実にさまざまな公園に立ち寄る。

もっと狭い空間で富裕層の人々がくつろぐのを見てきている。

 

昨日も今日もここは晴れている。

冬将軍にはもうちょっと我慢してもらって

秋の日を楽しみたい。

椿の咲くように。

薄曇の中、ウォーキングへ出かけた。

公園の水族館側の茂みに椿の花を見た。

 

この写真も日付が11月下旬で咲き揃うのが判った。

 

さざんかはもっと儚く咲く。

椿の生命力ははっきりくっきりしている。

 

 

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ウォーキングはわたしがまだしゃこしゃこ動きたい、だから鍛えたくて

出歩いている。何しろ動くのを辞めたら本当に動けなくなるんだもの。

実例を見ちゃったんだもの。

 

彼女(と言ってしまうが年上の女性)は、諦めたのだと思う。

どこかで諦めて介助の人を頼りにして生きてきたのだと思う。

それが閉鎖病棟に入院させられ、投薬を受けながら

リハビリを避けて避けて甘えの利かなくなった事態に陥ったのだ、と。

 

わたしはもっとくっきりはっきり生きたい。

さざんかのようでなく椿として生きたい。

夫と話す。「二人の子どもが見たかったね」と。

あと10年早い出逢いだったら可能だった。

 

今は二人で健康長寿を目指してしまう。

出産にはリミットがある。

血管が破れてしまうであろう出産にまつわるすべてを諦めざるを得ない。

血圧の薬をしっかり飲んで自分に出来ることは自分でして、

最近の夫は以前に比べると「だいぶ楽になった」とひとりごちる。

 

わたしが朝食用の野菜を切り(9種類はある)お風呂を入れ、

夕食の鍋を作り、後片付けをし、ごみまとめをし、簡単に掃除をする、

家事参加をするようになってからだ。夫がイキイキしだしたのは。

 

こうなることを想定して誕生する前に二人のハイヤーセルフ(真我)が

話し合っていたのだと思う。

運命の贈り物を開けるたびに二人は感嘆する。深く、深く。

 

今夜も無事に帰宅した夫を迎えていつもの夕食を摂るのだろう。

幸福を帯びながら、わたしはお皿を洗うだろう。

今夜はどんな笑いが飛び出すか、楽しみだ。

二人とも「言葉に萌える」ので。→大事な共通項。

ほどけて、散歩。

暗い情熱でウォーキングをしてきました。
と、いうのも前の閉鎖病棟で身体の自由がきかず、
まったく歩けなくなった女性のことを思い出し、
同じ轍は踏むまい、と頑張って歩いたからです。

その女性は「看護婦(師)さんを呼んできて」とわたしに頼み、
依頼心の塊でした。自分で所定の位置まで動けば
ナースコールが鳴るしくみを作ってもらいながら、
いわば「楽」をしたくてわたしを「使う」のでした。

わたしもそうはなるまい、とよれよれと歩いてきました。
上天気の空の下、ウォーキングにはうってつけ。
昨日の休日は夫と歩けて楽しかったなぁ。
徐々に暗さがとれて、太陽の恵みを感じ、
家に戻る頃には心の綾がほどけていい散歩になりました。

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ほどけて、散歩。

暗い情熱でウォーキングをしてきました。
と、いうのも前の閉鎖病棟で身体の自由がきかず、
まったく歩けなくなった女性のことを思い出し、
同じ轍は踏むまい、と頑張って歩いたからです。

その女性は「看護婦(師)さんを呼んできて」とわたしに頼み、
依頼心の塊でした。自分で所定の位置まで動けば
ナースコールが鳴るしくみを作ってもらいながら、
いわば「楽」をしたくてわたしを「使う」のでした。

わたしもそうはなるまい、とよれよれと歩いてきました。
上天気の空の下、ウォーキングにはうってつけ。
昨日の休日は夫と歩けて楽しかったなぁ。
徐々に暗さがとれて、太陽の恵みを感じ、
家に戻る頃には心の綾がほどけていい散歩になりました。

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蕁麻疹のコーナー。

お笑いを見続けて40年。
家族に嫌がられながら見続けて幾星霜。
関西人の夫に「よく東北でヤンスイ聴いてたね!」と感激される。
ヤンスイとはMBSヤングタウン水曜日のこと。
わたしが聴いていた頃は原田伸郎、ジューシーフルーツのイリヤ
嘉門達夫だった。なんのことはない。でっかいステレオの
広い周波数から丹念に音を拾っていったら出会ったのだ。
おかげでスジャータのCMやマルカワガムのCMソングまで空で再現できる。
蕁麻疹のコーナーも知っていた。
夫は同コーナーで「北の湖の愛想笑い」を強烈に覚えていたらしい。
『じんましんの!!
こぉぉなぁぁあー!! 
あーいぃやぁー あーいぃやー』
で、笑う夫婦の出来上がり、だ。
そういうわしらのほうが蕁麻疹ものだったりして。
あーいーやー。

 

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ぶーは、サービスの我が家。

西の窓からさす光を「焼き豚光線」と名づけた我が夫。
西陽を見ると目が「きらーん☆」って輝かんばかり。
「苺、焼き豚色だよ!!!」
あの日断定した夫のときめいた顔は忘れられない。
我が家には「ぶーシリーズ」があるのだ。
シーブリーズに非ず。
仰向けに寝た夫に「乗ってー」とリクエストされる、
「ぶーサービス」まであるのだ。
「ぶー」はサービスなのか。答えはYES。
ただいま絶賛ダイエット中。
でも、胸から痩せて腹部はまだ図々しく肉が残っている。
「いっぱいあるね♡」と愛しそうにさする夫。
そうさ、まだいっぱいあるさ。←悲しい。
標準体重まで落としてウエストマークした服が着たい。
女心は秋の空のように複雑なのだった。

 

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もしも明日が

希望を胸に。
のぞみ・かなえ・たまえ。
欽ちゃんファミリーにそんなユニットありましたね。
後に見栄晴くんやコサキンたちまで混ざって
歌をうたったりして。

www.youtube.com


微妙に年齢がバレる話題ですがいつまでも
隠しておれる筈もなく、いいんです!
わたしは当時16才でした。
夢を持って16才になった。
自分自身で特別感があったのですね。
それが初入院(メンタルの)をくらって
退院後に高校中退。
今でいう、ニートになるも、人生の黄金期でした。
呑気な時代。社会的なことは頭からすっぽり抜け落ちていました。
東北で関西のラジオを聴いたりなど、
運命の主軸は関西人へと近づいていって
心はオッサン、姿かたちは妙齢の女性、
なんともアンバランス。
それが将来関西人の夫と一緒になるとは。
人生ってわからない面白いものですにゃー。

世俗にまみれてないだけあって、

ざっと人生を振り返ってみると、
入院した過去のボリュームが凄い。
自宅ではどうしようもなかった娘のことを
医院任せにした両親は情けなくなかっただろうか。
いや、情けなかっただろう。
そこに何の感情も生まれないならわたしもやりきれない。
ただ、一度目の入院でアカシジアが出た時には正直まいった。
その医院はわたしにロドピンを使いたがる傾向にあった。
クラシックタイプのロドピンから副作用アカシジアが出た。
後年、診断書を見る機会がありアカシジアという名称がわかった。
あの頃「お薬手帳」があったなら具体的な抗議もできたと思う。
だいたい医者じたいが話をそらす。
「テレビでも見てなさい」「よく喋るねぇ」
わたしは一度、ぶち切れた。病棟のガラスを故意に割った。
で、やっと向こう側の耳が開いた。
先生のお薬、捨てられていますよ。
患者が飲みたいと思うお薬を出してください、と伝えた。
薬が変わって急にイキイキしだした患者仲間がいた。
「4キロ痩せた!」と嬉しそうだった。
わたしも当時飲んでいたお薬からはアカシジアは出なかった。
それを続けてさえいれば、その後の暮らしは安泰だったろう。
一度目の結婚をし、入院し、アカシジアの出るお薬になった。
その時の医者は女医だった。
「俺が話してやろうか」前夫が言う。
ところが「副作用は)内省的なものだと思います」
女医「そうよねぇ、きゃはは」悪い冗談かと思った。
ミニスカートの女医と喋るネタに前夫はしたのである。
最低。最悪。何を聞けば内省的だと断言するのだ。
身体がふるえて座っていられないのだ。
何を聞いているんだ! 離婚ポイントが加算される。
現在はタイプのまったく異なる夫と暮らしている。
故郷を捨てる勇気と遠心力は最早ゲージが振り切れていた。
未練なんて微塵も無い。
わたしは陽気であかるい祖母の隔世遺伝だと思う。
東京へ引越し、幸せを掴んだ。
2度目の結婚はしあわせそのものだ。
「互いに関心を持ち合って協力して
僕らなんとか暮らせているよね」今の夫は満点だ。
こんなして生きてきた甲斐があった。
わたしを豊かだと言う。
世俗にまみれてないぶん綺麗だと言った。感謝である。

 

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世俗にまみれてないだけあって、

ざっと人生を振り返ってみると、
入院した過去のボリュームが凄い。
自宅ではどうしようもなかった娘のことを
医院任せにした両親は情けなくなかっただろうか。
いや、情けなかっただろう。
そこに何の感情も生まれないならわたしもやりきれない。
ただ、一度目の入院でアカシジアが出た時には正直まいった。
その医院はわたしにロドピンを使いたがる傾向にあった。
クラシックタイプのロドピンから副作用アカシジアが出た。
後年、診断書を見る機会がありアカシジアという名称がわかった。
あの頃「お薬手帳」があったなら具体的な抗議もできたと思う。
だいたい医者じたいが話をそらす。
「テレビでも見てなさい」「よく喋るねぇ」
わたしは一度、ぶち切れた。病棟のガラスを故意に割った。
で、やっと向こう側の耳が開いた。
先生のお薬、捨てられていますよ。
患者が飲みたいと思うお薬を出してください、と伝えた。
薬が変わって急にイキイキしだした患者仲間がいた。
「4キロ痩せた!」と嬉しそうだった。
わたしも当時飲んでいたお薬からはアカシジアは出なかった。
それを続けてさえいれば、その後の暮らしは安泰だったろう。
一度目の結婚をし、入院し、アカシジアの出るお薬になった。
その時の医者は女医だった。
「俺が話してやろうか」前夫が言う。
ところが「副作用は)内省的なものだと思います」
女医「そうよねぇ、きゃはは」悪い冗談かと思った。
ミニスカートの女医と喋るネタに前夫はしたのである。
最低。最悪。何を聞けば内省的だと断言するのだ。
身体がふるえて座っていられないのだ。
何を聞いているんだ! 離婚ポイントが加算される。
現在はタイプのまったく異なる夫と暮らしている。
故郷を捨てる勇気と遠心力は最早ゲージが振り切れていた。
未練なんて微塵も無い。
わたしは陽気であかるい祖母の隔世遺伝だと思う。
東京へ引越し、幸せを掴んだ。
2度目の結婚はしあわせそのものだ。
「互いに関心を持ち合って協力して
僕らなんとか暮らせているよね」今の夫は満点だ。
こんなして生きてきた甲斐があった。
わたしを豊かだと言う。
世俗にまみれてないぶん綺麗だと言った。感謝である。

 

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