アカシジアと書き文字。
アカシジア。座っていられない症状はただでさえ我慢強くないわたしにとって
何度も訪れるハードルだった。ハードルにぶつかって転ぶ。
現在はお薬がバージョンアップして悪さは直接食らわないものの、
かろうじて残っている症状として書き文字の汚さが気にかかる。
薬を服用していない学生のわたしは丸文字でノートをとるのが好きだった。
今では手に適切な力が入らない。丸文字の雰囲気は残ってはいる。
だけど格段に下手になった。
アカシジアに捕まった当時、1分間に1文字という非常にゆっくりと遅くしか
書けなかった。しかも左手で書いたようなヨレたお粗末な字。
相当落ち込んだ。わたしは詩作好きだった。それからも遠ざかった。
自分の文字が自分じゃない。悲しかった。
のちにパソコンの時代となる。タイプライターやワープロで
ブラインドタッチが結局出来ずじまいだったわたしは
タイピングの教則本を買い求め夢の両手打ちを必死に頑張った。
ローマ字入力がお薦め、と聞き目で文を読みとり指先でローマ字にしてゆく。
書き文字は機会を失っていった。
ただ、今ここに来てお手紙を出したい相手に届けたい、
書き文字で顔をあげたい対象ができた。心をこめて書きたい手紙がある。
そのかたは毛筆や硬筆の段をお持ちだ。わたしはますます緊張する。
アカシジアに打ちのめされやがてゆっくりでも浮上し、ここまできた。
16歳で固まってしまわなくて良かった。
今の夫に出逢えて人生の時計を止めなくて本当に良かったと感慨深い。
生きていれば何がしかの邂逅はあるものだ。本当に絶望するいとまは無い、と思う。