生きる価値。
今日のお料理の下ごしらえすべて終えてから、
現在まな板の漂白中です。
一応窓を開けて換気して、空気を通しての作業です。
わたしの彼はよく「今の人生で地球を卒業する」ということを言います。
わたしは異議をとなえました。
一緒がいい、と。
わたしは今世で課題を残したまま亡くなったらまた転生で
やり直しをしなくてはいけない。
しかし、その際には彼に逢えない。
彼に逢えない次の人生は生きる価値がないのです。
ひとりぼっちは嫌だ。
すると「一緒に進もう」とスマホの向こうから語りかけてくれるじゃありませんか。
そう、一緒が、いい。
気働きができないわたしが転生を卒業するのは困難な道なのだと感じますが
彼と一緒なら頑張れる気がしています。
気働きができないわたしの前世は高慢なお姫様で
下々の者に用を言いつけ、出来なかったら首をはねる、
そんなイメージがあるらしく、姫だったのじゃないか、と彼が言います。
そんな暴虐性が感じられる、と言います。
お嬢様、と故郷のA病院で職員さんに形容されたこともあります。
東京に来て、彼のもとに来てから「暴虐ちゃん」と呼ばれ、
大変不本意なのですが、自分のみっともなさには自分でも二の句が継げないと
いうか、幼い頃から、「鬼っ子」だという自覚は確かにあるので、
今はもう何も言えません。異を唱えるなんてこと、できません。
ですが、彼ひとり転生を卒業するのは、寂しい。
わたしもついてゆきたい。
と、いうわけで、現在きかない身体でする家事(それも苦手な調理)を
せっせとする日々です。
自分の高慢さと向かい合い、内観してわたしも彼と同時に
地球卒業したいです。
あと50年も健康で長生きしたい。
「長生きはするものね」という台詞が似合うおばあさんになりたい。