夫からの介護。
頭脳明晰。夫から受ける介護の感触はその4文字に集約される。
朝。布団の下のホットカーペットの電源を切り忘れない。
口に出して確認している。
起こしてもらい、両脇を抱え込んでわたしを立ち上がらせる。
そのまま二人羽織り状態でお手洗いまで移動する。
段差や手洗いの明かりスイッチに率先して夫の手が伸びて
前者は乗り越えるのに気を配り後者は点灯したりする。
わたしの用足し中もキッチンでコーヒーを淹れることを忘れない。
手洗いが終わるとまだ眠いわたしの覚束ないズボン上げまでしてくれる。
よくお料理番組に「ここまで出来たものが、こちらになります」と
途中まで出来たものが出てくるが、それに似ている。
朝のお手洗いの時点で「お料理番組みたいだね」
夫の苦労も知らず呑気なものである。
夫は夫なりに楽しくやれているのではないか。
でなかったら毎朝このようなことは続かない。
さて、和室で今日のいでたちを決め着せてもらう。
着せ替え人形でも思ったのだが冬物を着せるのには袖がキツキツなのは
どうしてか?肘を曲げて袖を通す作業はいつも難航する。
やっとの思いで着せたものが「後ろ前」だったりしたら脱力も甚だしい。
夫は首の後ろのブランド名のしるしを確認して後ろ前の悲劇を回避している。
わたしは「洗濯表示のタグは左」とよく言う。
どちらも正解である。
ユニクロの被りブラジャーもタグが左にきてたらOKである。
夫は「少し前にはこれほど女性の服に詳しくなかった」と言う。
必要に迫られて覚えていった数々を思うとただ有り難いな、と思う。
食べさせてもらい着せてもらう日々。
夫は楽しいひとだからおんぶにだっこ状態でもこちらの気は落ちない。
だからこそ助かっている。大いに助けられている。
ありがとう、を幾つ言っても追いつかない。
今日もありがとう。食べこぼしまで拾ってくれて。ありがとう。