狂騒の日々。

奥病棟から前病棟へ上がってきたKさんは

「あのう…うるさいんですけど」と隣の部屋からわざわざこちらに来て

ぽつりと語った。

看護婦さんと眠れないわたしは口論をハッと止めて

静寂を取り戻した。

お隣の部屋は難しいかたなんだ…とわたしは誤解し、

両脇の部屋にあたるAちゃんにも「静かにしようね」

Aちゃんは天真爛漫で一人で何事かツボにはいると高らかに笑う子だった。

次の日、Kさんと初めましてと挨拶をした。

夕べはうるさくしてごめんなさい、と謝ると

逆に恐縮されて「いいんですよ」と謝り返すKさんだった。

わたしは注意されてから静寂の気を右隣に向けて送った。

それが功を奏して呼吸が整い、やがて安眠につながったのである。

 

わたしは2回目の隔離の憂き目に遭う直前で

前病棟AエリアでCエリアの皆さんからはうるさくて嫌われていた。

うるさいから自室に戻れと嫌われ抜かれており、

憮然としてAエリアの廊下の手すりをバーに見立てて「バレエごっこ」を

やっていた。わたしは現在非力でひきこもった生活をしているが

あの2014年のクリスマス前にはぶんぶん動けてエネルギーが

有り余っている状態だったのだ。

 

さて。隔離生活。

年末のテレビを見て有馬記念の予想を立て馬を2頭脳内で買い、

どちらも当てて大騒ぎしたり、奥病棟に隔離の必要があります、の書面を貰い、

(他者への著しい悪影響があるため)治療に専念してください。

奥病棟の一室に鍵をかけられ精神のガス抜きが始まった。

 

当時の担当医のお話によると眠る前のお薬をもっと増やしていく必要があります、との

ことだった。また隔離中に夫と恩師の面会があり担当医と

今後の展開について話していた。(わたしには感情障害がみられる・再発すると

家族ともども厄介なことになる・etc.)

 

薬が増えはじめて自分のとある感覚が磨耗したように感じた。

布団に入る動作がなめらかに出来ない・四角い布団が思うように畳めない。

面会に来た夫も目撃していたと思うが畳むのにまごついたわたし。

増えた薬は冬至を堺に今後減らす予定のロドピンである。

R子先生、感謝します。

 

隔離生活は半月くらいを要しただろうか。

前エントリーにも書いたようにKさんは「普通になったね、良かった」と

感想をもらし、わたしって相当珍奇だったことを知る。

観音崎さんの話は不思議とつながっている(と、僕は思う)」と口にした

看護師さんが約1名おられたが。狂騒の日々。わたしの48歳はそうして

歪んだものを内包して過ぎていった。