精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

まれすけ。

16歳のとき、茶トラの猫が実家に住みつき、

わたしたち姉妹は「まれすけ」と名づけた。

りぼんに連載中の「空くんの手紙」の作者の猫とおそろいの名前だ。

まれはオス猫だった。

メス猫にばかり縁があった中でオスの仔はめずらしかった。

高校に通っていて汽車通学だったわたしを

起こしにきた母がまれすけ持参だったことを覚えている。

まだ小さくてこれからすくすく育つものと考えていた。

その年の秋に初めての入院を経験することになった。

お正月の外泊の時に「まれは?」と聞いたら

妹と母の顔が曇り、まれすけはもうこの世にいないことを知らされた。

この話をすると猫が身代わりに厄を持っていってくれたんだよ、と

言ったひとがいた。ふわふわでまだ小さい子猫がそうまでして

活かしてくれた人生をその後アカシジアで放り出そうとした。

一回目の入院は薬を飲む意義がわからず結果は「悪化」と

2文字で記された書類を目にすることとなる。

自死を選んだわたしは結局死ねなかった。

切った手首は当時の担当医が縫った。少しも痛くなかった。

その後、薬は変わらずアカシジアもおさまらず、

この世はなんてところだ、という17歳を過ごした。

18で再入院して副作用の出ない薬になったが気持ちのアップダウンが

激しくて辛かった。その他の職員が後に教えてくれたのは

「あのひとはヤブ医者だ」という噂だった。

密かにそんなふうにささやかれても曲げられた人生は

当の本人が責任を持って回収しなければならない。

まれすけの持っていった厄は大きかったろう。

そのぶん苦しかっただろう。

わたしはその後、喫煙という名の慢性的な緩やかな自殺行為に嵌っていく。

15年前に辞めたけれども。

タバコを吸った履歴は身体の中から去ってはゆかないものだ。

自分という名の牢獄は握りしめるたびに悲鳴をあげる。

リラックスだ。あの頃の自分を人々を許し愛するところから

始めてみるしかない。許し愛することしか、ない。