書き文字、大小。
アカシジアを両親に訴えたことがある。
父は「気圧のためじゃないだろうか」
母「薬を変えてもらったら~」
父の意見は的外れだし、母の意見は当時のA病院の医師の誰にも
聞いてもらえない願いだった。
ランダムに身体がふるえ、書き文字は常に乱れていた。
現在ロドピンを飲んでいるが書き文字はあいかわらず納得いかない出来だ。
身体のふるえがなくなっただけでもありがたい。
現代のロドピンは目だった悪さをしない。
薬の進歩度がわかる。
アカシジアによる不便さは書き文字の機会が減ったことで
さほど気がつかなくなっている。
たまにメモがわりにノートに書き込むくらいだ。
が、しかし長文を書くと字が小さく小さくなっていく。
読むほうは虫眼鏡が要るくらいだそうだ。
わたしの入院先から手紙を我が家で受け取った彼は
虫眼鏡を使用していたとか、いないとか。
小さすぎて字が判別しにくいのだ。
極小の文字もアカシジアのうちだろうか?
30年前は左手で書いたような大きな文字だった。
1分に1文字書けるか書けないかの速度で。
日ペンの美子ちゃん(まだあるのかな)も歯が立たないだろう。
精神薬を使用すると弊害が出てくる。
我慢できる範囲とフォローできる範囲もあるにはあるが。
「薬って怖いね」一緒に入院していた仲間が言う。
副作用をそれと認めない医師との攻防はほとほと疲れた。