精神薬と私。
「精神科の薬なんて身体を壊すだけだよ」と言いきった知り合いがかつて、いた。
私はそれも暴論や極論だな、とは感じたけれどその場はスルーした。
私は精神薬をどうこう言われることには超センシティブである。
「必ず治るから」(あなたの希望でモノを言わないで)
「薬に頼ってどうするの」(あなたが頼りになってくれるとでもいうの?)
「薬をのまなきゃダメ」(あなたが病院に私をまる投げしてるだろう)
何をどう言われてもイライラする。正解は中立なノーコメントであることだけだ。
実際に30年以上薬をのんできた(のんでない時期もあったが)私からすると
アカシジアだったり身体の震えだったり書痙だったり不具合はビシビシ感じてきた。
さっき思いついたのだが睡眠を薬でコントロールされるのも正直しんどかった。
眠りが浅い入院があったがそのときの担当医は「夜9時から朝6時まで眠れる量」にし
て実際その通りの睡眠がとれた私に対してガッツポーズをしてみせたり他の職員に
「流石、○○先生!」など褒められている様子もじわじわと不愉快だった。
退院後、すぐに希望を出した。
夜寝る前の薬を服用してからそれこそ速やかに強引に眠らされる感じが
辛かったのを伝えたらすぐ緩めの効き目に調整してくださったが。
そういう意味で精神科に名医はいただろうか。
精神薬の処方の世界が立ち遅れてるとは大いに感じた。
が、薬に関しては自分が生まれながらにして選び試練として設定した
運命的なものを感じている。いい、悪いじゃなく
自分になるためのハードル? 壁? しっくりくる言葉が見つからない。
服用歴がなかったら今の私にはなっていない。
心地いいことばかりじゃなかった。が、ひたすら感謝するという材料でもない。
私と精神薬とはそういう意味を含めて超デリケートな部分にあたるのである。
自分そのままじゃダメだ、という荒波をくぐり抜けるために
人生は出来ているみたい。人間に生まれて感謝と歓びの生き方を
手探りで探すために各種各々の設定はあるのだろう。
毎度スピ的にまとめてしまった。そういうブログなので。