無気力をなんとか剥ぎ取り人間になる。
病が深くなると生活のさまざまに無気力になる。
お風呂なんてダメの最たるものになる。外出もしたくない。
掃除・片付けも取り掛かるなんて無い無い無い。料理もしたくない。
テレビを見ると騒がしい内容に傷つく。ニュースを見ると絶望にさいなまれる。
世間が自分を置いていく。友達はたやすく人生を渡って(いるように)感じる。
このような閉塞感が薬で治るかのようだが「合えば」の話だと思う。
自分の親戚でいうと最初からぴったり合ったらしかったが、
入院してみるとわかる。実際は「合わせる」までに相当時間がかかるケースが
多いように感じる。そうしている間に再発・入退院という道をゆく。
先日、落ち込みを感じた私は「あの閉塞感」について考えてみた。
無気力は何もやりたくないことへの言い訳のような気がした。
入院中に保護室行きを希望したら鍵をかけないその部屋をあてがわれて
看護師たちは機会があるごとに私をホールへ連れ出して
患者仲間に触れ合わせようとしていた。
人間に元気を出させ取り戻そうとするにもやはり対人間だった。
具体的に何かやる、というのは心を立たせてくれる。
時間は豊富にある。潤沢に在る時間へ感謝を注ぐ。そして何とかなっていく。