虚像から本物の自分へ。
セルフイメージはエゴが都合よくキレイキレイに作り上げた虚像だ。
「ワタシの感覚が普通で王道!」という誤解と思い込みで作られた虚像だ。
世間は親切に同級生や同僚や上司の姿等をして「それは違うよ」と
中傷してくるように感じるが、中傷と感じるのもエゴ特有の誤解だ。
「傷つけられた!」と悲しんだり落ち込んだりプンスカ怒ったりするのが
エゴの姿みたいだ。エゴが溶けて愛に初期化されて
たましいに統合されていれば何も気にならず微笑みさえ浮かべて流せる。
実は最近まで私はエゴの意味がずっとわからないままだった。
そこで他人から傷つけられた過去に痛んでいたのは自分が頑ななまでに
守り通した虚像だったのではないかと思いついた。
世間は虚像に対してはめちゃめちゃ厳しくツッコミの手を入れてくる。
まがいものだ、馬鹿者だと糾弾の手を止めないものだ。
糾弾を受け容れて自分の中で咀嚼消化しきったら反転が始まる。
反転とは何にも傷つけられない本物の自分になることだと思った。
エゴから来る虚像は他人には悪目立ちしてとても叩かれやすい。
叩かれ続けた人生は「もう、いい!」と人生自体を投げてしまうことになる。
虚像から本物の自分になるのが変容、つまりアセンションなのかな、と考えた。
世間から傷めつけられてきた諸々は結局は愛からくる親切なのかも。
それらがなかったら一生気づけないままで偽者の人生を送っていただろうから。