精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

受け入れがたかった。実にのみこみがたかった。

受け容れがたかった。

実にのみこみがたかった。

 

16歳の初入院。閉鎖病棟

こんな世界があるのかこんな集団生活があるのかと驚愕した。

病は治すのが勿論だが「退院したいといわなくなったら退院」と諭され

どういうこと?!と問いが立った。あれは人生で最大のクエスチョンマークだった。

 

自分のことは自分でして規則正しい生活をして看護師・医師の言うことを良く聞き

不安定な患者仲間とは仲良く過ごし、ということらしい。

制限の多い生活を自分の意思でもって意欲的に過ごす。

 

受け容れがたかった。

実にのみこみがたかった。

高校も休学しそれらに取り組む必要性が出てきたのだ。

 

やがて酷いアカシジアが出てますますその治療の意味がわからなくなった。

 

今から約30年前のそのときを思えば

しっかり屋根のある場所で寝られ確実に食事は3回たっぷり出て

一日のスケジュールは管理・制限されているものの

自由にできる時間もたっぷり有った。16歳の心は感謝までたどりつけなかった。

 

投薬で麻痺させられた感覚の大きさはとても感じていた。

ノートに書く字は別人のように震えだいすきな文章も詩もいつものようには書けなく

なり食欲は異様に増え体重も10キロ以上の増加を見せ生活の意欲は減退、

そのあたりを看護師に「若々しさがない!」と突っ込まれ

おかしい動作には「手を振って歩きなさい」(どうしても出来ない磨耗状態なのに)

言われたくないことの雨あられだった。

アカシジアを始めとして薬関係の訴えは医師に何一つ伝わらなかった。

看護師たち全体の接し方も荒れていたなあ、と今でも思う。

 

30代前半まで繰り返した入退院で徐々に受け容れていけた、と思う。

その後の生活の見直しでも、のみこめていった、と思う。

 

初入院は大荒れに荒れた。