精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

今までを縫い閉じながら暮らしている。

親戚には「精神薬をのんでいると本当にすごくイイの!」と仰っていた

かたがいたので家族の病院へ対する信頼は厚かった。

今だから言う。「効き方は人それぞれで病院の対応も医者の対応も各々違う」

 

実家では私に何かあればA病院に入れておけば安心、という厄介な図式が出来上がり

臭いものにフタと同じく私が40歳過ぎるまで「様子が崩れたらA病院」と

その信仰は揺らがなかった。「私たちも苦しかったのだから」と言い、

苦しかった家族たちは、この私の入院生活事情の理解も薄いままで暮らしていた。

 

夫に出会った時に「東京へおいで」という申し出は夢かと思った。

40数年暮らした故郷脱出。未練はまったく無かった。

むしろ東京に来て人生が動きだした。

上京直前に当時服用していた薬も医師のはからいで

全体量が減ったことを考えれば私の精神も時が満ちていたのだと思う。

東京のクリニックでは即入院という手段は使わなかったのも心から在り難かった。

アカシジアを出す目の上のたんこぶの薬は新薬に切り替わった。

 

「苺は薬をのまなきゃダメ」というのは実家ではあたり前だった。

何にせよ、どんなかたちであろうと制限を受けるのがあたり前だった四十ウン年間。

私はここへ来てからそれまでをせっせと縫い閉じながら暮らしている。