精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

長期間、精神薬をのむ、ということ。

真の意味でおかしくなっている時は自分でも誰にも止められない。

一つの考えに囚われその考えのために誰も協力・賛同してくれないと

真っ赤になって怒っている。その強いエネルギーのためにろくに眠らなくなる。

近くに居るひとを寝かさなくなる、まるでゾンビだ。

ゾンビはどんなアドバイスも意見も耳をかさなくなる。

 

一番最初は布団から起き上がれない様子をうつ病

家族に判断され心療内科に連れていかれ薬を出された。

それが何年か後には新型うつ等で現される近親者に極端なまでに

噛みついていく症状になっていった。

 

薬漬けにならなかったらここまで症状が育つ(?)ことも

無かったんではないかなあ、とぼんやり思ったりする。

 

閉鎖病棟には何十年にも及ぶ長期間の入院者が居た。

ご家族も受け容れるのを半ば諦めているふうにも感じられた。

「わたしは一生(薬をのむの)さー」と人生を投げたふうな入院仲間もいた。

 

そもそも長期間、薬を服用しなくてはならない、とはどういうことか。

精神医療にまるで詳しくない私でも何度かたてた問いだ。

 

医者の力量もそれぞれだった。

同じドクターが処方する薬が○○さんにはとてもよく効き、

△△さんにはとても合わない、のを多く目にしてきた。

 

アカシジアが出る薬を処方した医者に対しては後から母がこんなふうに言った。

「若い女の子の気持ちがわからなかったんじゃないの」

わからないどころか精神科医は気持ちなんて診ないし…というのが

その時口に出さなかった本心だった。

 

薬に出来るのは社会的に迷惑をかけてしまうフラフラの心身を

「とりあえず抑え穏やかにする」ことだけだと思う。

薬物治療で精神病が完治すると信じている人々にこちらが抱くものは

いちどきに説明できるほどなまなかな想いではない。

 

精神を治していく薬で

アカシジアが出ていた頃は

ただただ死にたかった。

 

16歳、初の退院後、薬を拒否する私に母は祈るように薬をのませたがった。

服用したら必ず気持ち悪くなる薬。おそらく長期間のませようとしている医者。

さっぱり晴れやかな気持ちになれなかった。生きたい、という気力が全くなかった。

 

人や社会に迷惑をかける症状と生きる気力を奪う副作用と。

うまれる前の私はタフなカリキュラムを組んだと本当に思う。

アカシジアからきっぱり離れられた2年前からやっと生きている気がしている。