精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

アカシジアと闘った道。

A病院に通い続け30歳を過ぎた頃、10何度目かの入院をし

その時の薬もはっきりとアカシジアを出したので

退院した後の私はその不具合を通院で訴えた。

入院時と同じ担当医は「それでは抑える薬を出します」

私は薬の全取替えを希望していた。

抑える薬など服用量が増えただけではないか。

アキネトンとピレチアが増えたがアカシジアが出た際に服用しても

曖昧なばかりで効いた気が今ひとつだった。

そこで当時の私がどうしたか、というと自己減薬だった。

1日3回朝・夕・寝る前の服薬(医師の現し方ではとても軽めの量)を

1日1回寝る前のぶんだけにしたのだ。

毎日のように出ていたアカシジアは月1、2回になった。

そしてアカシジアが出た際にアキネトンとピレチアをのむ。

つまり服用量を自分なりにアレンジしちょろまかしていたことになる。

通院では1日3回分×28日分をしっかり受けとっていた。

誤魔化し続ける通院はその後約10年ほど続いた。

診察の担当医が10年ほどのあいだに何人か代わられた。

「そろそろお薬の量を減らしにかかりましょうか」と提案した医師がいた。

その際にこちらの誤魔化しの事実を伝えた。

医師は驚き「なぜ言ってくれなかったのですか」と「よく(少量で)

これだけ(約10年ほども)持ちましたね!」と仰った。

私としても誤魔化し続けて歴代のお医者達を欺いてきた罪悪感はずっと感じていた。

すべてはアカシジアの辛さを「この薬の量ではありえない」「気のせいでしょう」

「それはアカシジアじゃありません」と複数の医師からつっぱねられてきた経過だ。

その中から自己防衛してきた私の苦肉の策なのだ。

あの場ですっかり全容を聞いた医師はその時のんでいた薬の全種類を

さらに少しずつ減らしてくださった。 

しばらくして私は東京へ引っ越すことになった。こちらで暮らしていて服薬の毎日。

「そういえばアカシジアが出てない」のに気づいた。実に爽快だった。

東京のクリニックの医師は「血中濃度に達してないんですよね」と何回も仰られた。

その後、ロドピンジプレキサに変わりアカシジアからは完全に逃れられた。

ジプレキサの唯一の太りやすい副作用などこれまでの苦労を考えたら

すんなり受け容れられる。もちろん現在では処方された量を守ってのんでいる。