当時のアカシジア。
自分が徹底的に無いことにされる経験(初入院・アカシジア)は
必然だったのだろう。ひとを尊重することを大きく学ぼうと
生まれる前に自分で組んだカリキュラムだったのだろう。
スピをかじってこんなふうに持論を何度も展開するのは
それらの考えが一番腑に落ちたからで生き方の質が変わり今が清々しいからだ。
最初の入院でアカシジアが身体に出てどうやっても座れなくて
幽霊のように気持ち悪さを抱えながら病棟の廊下をフラフラ行ったり戻ったり
実際に清掃の係りの方の迷惑になってそれでも立ち止まれない私を
患者仲間たちは「薬って怖いね」と囁いていた。
無論看護師もその様子を見ていた。歩き回るしかない私をただ注意しなだめていた。
アカシジアの辛さを当時の医師に訴えても「テレビでも見ていなさい」と
まるでとりあってくれなかった。「よく喋るねえ」といなされた診察もあった。
アカシジアという正式名称を知ったのはそれから20年余り過ぎてからのことになる。