「まだまだお姉さん」の看板を下げて豊かな中年期になだれこむ。
四十肩により最近動作や着替え等がのろくなりつつある。
夕べなどは冷え性からくる痛みを緩和しようと布団から
やっとのことで這い出て湯たんぽをつくっていたら
熱中症っぽい気持ち悪さを感じたのでしっかり水分を摂り
エアコンをつけ痛むところに湯たんぽを当てて眠りについた。
もうこれらの設定がアホらしくむちゃくちゃである。
私が発病した年の母の年齢に想いを馳せると
しっかりあの頃の母の年を私は今生きている。
母の身体がしんどそうだなあ、と当時も微かに思ったが
実際こんなだったとは知る由もなく。
かててくわえて娘が精神病で入院、となれば母の心労はいかほどだったか。
この年齢にならなければリアルにわからないことだらけだった。
親が子どもを育てながら子どもとの生活から追体験、というのは話に聞いていたが
その逆もあるのだとは目から鱗ボロボロ落ちまくり、なのでした。
鏡を見るたび自分の加齢具合にギョッとするのも
中年以降なら皆さん感じてらっしゃることのように想像する。
ゆえに若かった傲慢の内観も進む。
さまざまな理由で「私はまだまだお姉さん」と胸を張って言えなくなってしまった。
それにしたって年増・中年期は豊かだと思うのだ。負け惜しみじゃなくてね。