楽しみを感じてから始まった朝の6時起き。
昼間にしか起きられない時期も長いことあった。
起きても楽しみを感じられなかったのだ。
しなくてはいけないこと(家事・風呂など)がまったく萌えなかった。
その頃の通院では医師にそのあたりをしっかり見透かされていたように思う。
元気が出ても「おかしな行動をしでかさないか」を危惧される。
元気が出てもそれが常軌を逸した行動ではないかと自分でも不安になる。
今思えば単に自分軸を手にしてなかっただけ、だったとも考える。
私はそんな生活から東京へ来れるようになったのは
家事も生活も系統立てて取り組みある程度の達成感を得るようになってからだ。
昼の11時起きがどんどん早くなり朝の6時前後に目覚めるようになり
人生が大きく回りだした。彼(今は夫)の存在は大きかった。
彼が先ず私の人生を認め肯定してくれていた。
この時期になるとぐんぐん自分がひらいていったのを思い出す。
「お互い一度も怒ったことのない地球に来たんだよね」
と笑いながら言い合うほどの自己ハードルをそれぞれ楽しんで越えた感がある。
私が一番最初にしたのはそれまでの人生の雑物までも受け容れたことだった。
宇宙の意思に届くなど気にもかけていなかった。
その時点で持ち上がっていたハードルも「越えよう!越えてみせる」と
大らかな気持ちで考えただけだ。越えたら思いっきり自由に暮らす!と
はっきり指針を張り出した瞬間を覚えている。
きっかけは不思議と必ず巡ってくる。
きっかけの浮力でいつでも飛べるようコンディションをととのえるだけだった。
憂鬱期を軽々越える人生の上昇を先取りで感じ微笑んでみるのも、アリですね。