1Q84を読んで。大人として心を開く。
再読をしながら青豆さんとあゆみさんがレストランで
大人同士で食事をするシーンがいいな、と静かに思う。
それぞれの過去を肴に過去を乗り越え流して大人で語れる「今」を楽しむ描写。
今まであったようで実は無かった。
大人として礼儀正しく心を開く、ということが。
では、これから始めてみようと思う。
それはこれから友達をつくるとかそういうのではなくて、
精神の鍛錬のことを述べている。精神的自立のことを言っている。
1Q84 BOOK 1では肉体を遺伝子の乗り物と表現しつつ
人生に起こる悲劇は遺伝子にとってどのような意味があるのだろうと
想いを彷徨わせるシーンがある。少なくとも無意味ではない、と感じる。
悲惨過ぎた青豆の人生だって大人になった解放感で心温まる1日が存在したのだから。
天吾というキャラクターはそれまでの村上春樹の長編小説に出てくる「僕」とは
違いおっとりとして受身だ。迫る運命に戸惑い目をしばたかせながら受けとる。
1Q84は3冊ともお風呂で何度も読んだ。今回の再読は湯船以外で初めてになる。