何をどうすることも出来なかった頃の私。
B病院での入院生活では一回11錠のお薬が1日3回、他に入眠剤も幾つか、
今から25年ほども前のことだからお薬手帳も無い頃だ。
つまり手元にデータがない。名称もまったく判らない薬を出され
いちにち30錠以上の投薬・入院生活では感覚の鈍磨がそれはそれは深かった。
家族は気を揉みながら心配漬けで暮らしている。
と、同時に病院に預けている安心感からただの丸投げ状態も感じられた。
実家でよく知っている方が「(精神科の)お薬をのんでいるとてもイイの!」
と仰られていたこともあって家族の病院に対する信頼は厚かった。
そして病院に入れてさえいればこちらの世間体の悪い行動は封じ込められる。
以上の事柄のために私自身が感じた薬の違和感や副作用はただ二の次となる。
このことはここで再三書いているが副作用はできるだけ我慢しなさい、とされるか
軽視されがちだとかを言いたいのではない。
「精神科の薬はとてもイイ」という薬が合うタイプと
そうでないタイプが患者側にはある。
そうでないタイプの私はB病院の経験以外では
幸せなことに薬の処方は軽め・少なめで来た。
薬が合うか合わないかも千差万別、医師との相性もあるし
病棟の雰囲気の相性もあるしTwitterのTLのように個人的な様相をあらわしてくる。
だから誰の事例も個別すぎて参考になるものではない。
薬によって揺さぶられた日々。
無論その苦しさは永遠ではなかった。
ただ苦しさのさなかにいる自分の心の中は言葉もない、がらんどうだ。
生きてなかった瞬間が多かった時期。
夜明け前の暗闇だとは到底信じられなかった頃。
アカシジアが出る身体でノートに綴る自分のものとは思えない危うい筆跡。
スナップ写真のいかにも不自然に歪んだいかにも病的な表情。
入院とひきかえに失くしたものを数える毎日。
荒い世界を泳いできた身体、この世になじまないたましいの容れ物。
たましいで感じることをどうにも許されてこなかった30年あまり。
たましいで感じることをどうにも怖がってしまっていた30年あまり。