人生の意味が氷解した。
「でもあの時あんな目に遭ったのに」
大人の顔に滲む暗さの一大テーマはそれだろう。
私で言えばアカシジアを善処してもらえなかった30年間が相当する。
2年ほど前に善処してもらえた(ロドピンからその新薬ジプレキサ)になった今も
胸はジクジクしてとまらない。無理解だった家族への怒りもとまらない。
おそらくそれは「その時の自分にふさわしかった出来事」で
事実として一度受けとめたら30年なんてかからなかっただろう。
私は自分で次の展開を押し留めていたのだ。怒りエネルギーはそうしたものだった。
怒りに力をこめなくなると周辺が次々見えてくる。家族はただ哀しかった、のだと。
スピ系の本に書かれている「リラックス」は瞑想を経ずとも時々腑に落ちる。
アカシジアは理不尽に降ってきたが世界は壊れず私は人生相応の体験をしただけだ。
感情的だった子どもが脳に長いこと溜まっていた熱をさました。
それをしにうまれてきたのだと人生の意味が氷解した。
力をこめず何度でも生き方を見つめ直す。誰もがその人の正しい道を生きている。