精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

猫と私。

人間だから、人間なので。

 

動物が種を越えて寄り添いあい時には微笑んでさえいる写真を

Twitterで見かけるたびに人間はそこまで素直になれていただろうか、と考える。

 

人間だけが特別なんて、ずいぶん間違った幻想を抱いていたものだ。

実家で歴代飼われていた猫たちがとても冷静なまなざしでこちらを見つめていた

あの瞬間も人間の甘さをじゅうぶん分かってそれでいて何も責めずに

ただ認めて静かに暮らし続けていてくれていたような気がする。

 

最初の入院をする前に私ときょうだいで名づけた子猫と暮らしていた。

最初の外泊で家に帰り「○○は?」と大きくなったあろう猫のことを聞くと

亡くなった、との家族の気を落とした返答がかえってきた。

人間目線で見るから「その猫は観音崎さんの身代わりだったかもしれない」と

いうのだろう。私は高校へ登校する前に寝ている布団にきた子猫のぬくもりを

覚えている。不意に入院することになって現実の何もかもから引き離され

まったくの想像外の場所(閉鎖病棟)の生活がはじまった。

 

すくすく育った姿を見せてほしかった。

猫らしいやんちゃな様子や我儘も見たかった。

猫らしくおっさんになった貫禄も見たかった。

 

人間だから。人間なので。

 

すべてのことにずいぶん曲がった考えをしてきたね。ごめんね。

あの頃実家にいてくれて小さな身体を抱かせてくれて、ありがとう。