縁が動くとき。
昨日のエントリーの結びとして「発散は外側に思考は内側に」と書いた。
なるほど今まではその逆をやってきたから人生躓いていたんだな、とひとりごちた。
その逆、とは相手が変われ!とばかりに心が暴力的に発散し
たいして自分を省みない状態だった。
イライラする出来事が連続して起きるのは自分の精神レベルと呼応してるから、
という考え方には猜疑心があった頃だった。
その日々を終わらせたときのことを鮮明におぼえている。
家族のそのままをいったんすべて受け容れて
私にできることをきっちりやり終えたら後は自由に生きよう、と決めて
家事に体系的に取り組んだ頃、夫(当時・彼)に出逢えたのだった。
「すべて受け容れて動きだしたら苺さんは完了して次へ行ったのですね」
と表現したかたがいた。縁とはそうやって動くものなのだ、と。
受け容れたあの時の感覚をしみじみ思い返す。
意思を固めたにしては天の向こうまで見渡すほどのやわらかな気持ちでいたことを。