精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

一日一回の少量の薬がきまるまでの歩み。

故郷の精神科(結構な大病院)に入院・通院しての所感からまず初めに。

 

20年近く通っていて「君はもう薬をのまなくていいよ」と仰ったドクターは1名。

他にも何人かの医者にかかった。全員が「一度こちらが出した薬は変更せず

生涯服用していただきますよ」というスタンスである。

患者側から「○○の薬を減らしたい」そういう要求が通る・また話し合いに応じて

減薬、という流れはなかった。他の通院者からもそのような柔軟さのある対応は

聞いたことがなかった。私に出たアカシジアの副作用はどの医師からも

「この薬の量でありえないから」で話は終わりだった。 

 

藤臣柊子さんの精神科への通院を描いたコミックエッセイを読むと

「これこれこんなふうに辛いからデパスを追加で」「はい」

という医師とのやりとりがあって

東京って何て進んでいるんだ! と涙をこらえていた田舎暮らしの私だった。

 

そして現在東京在住でメンタルクリニックへの通院者である私は

服用している薬の配分・内容にリクエストや注文をしたことがほとんどない。

統合失調症と診断されジプレキサテグレトール1錠ずつと

セロクエル75mgを1日1回。もともと少量のこの内容で落ち着いているからである。

何より主治医がアカシジアの苦しみを判ってくださっている感があるからである。

ロドピンの量が多くても少なくてもアカシジアは出るんですよ」

との説明に納得した私だった。ジプレキサに切り替えるときにはロドピンを併用して

薬を出していた。その短期間にアカシジアが出た時もすぐロドピン

止めてよかった。どんなに苦しかったか一言伝えると判ってくださっていた。

 

田舎の大病院は患者・通院者には20歳を過ぎてから該当する者に対して

精神障害年金を勧めてきていた。私が受給を決めたのは30歳を過ぎてからで

それまで勧められても断ってきた。受給してしまったら病気を全面的に認める、

認めなくてはならない、ただそのことに抵抗があっただけだった。

なので受給を始めた時は服用の遵守を誓い病気を治していく心積もりができたのだ。

 

精神障害年金のよかったところはお金がある程度有る状況が

買い物・身じまいなどで社会にアクセスする・開いていくことが出来たことだ。

顔も洗わず風呂に入るのもそのため美容室にもあの椅子に長時間座って美容師さんと

話したりが面倒だったことのどれも解決した。一変した。

衣食足りて礼節を知るの「衣食足りて小康状態」になったと思う。

今のところ10回以上あった入院歴が受給後からストップしたのだし。

 

東京へ来てからしばらくして主治医の判断で(また病状が崩れたら申請しましょう

ね)との言葉つきで精神障害年金の打ち切りが決まった。そこからしばらく

不安定にもなったが生活を見直せたので私としてはもう受給はのぞんでいない。

打ち切り当初の気持ちと逆だったが今となっては寛解に近づいたんだ、という

静かな嬉しさでいっぱいなのである。

物とか服とか現在さほど必要でなくなったから。

古びて捨てる際のことを考えるともうお財布は開かないものです。

そういう意味で物欲から抜け出たと思う。

長かった髪の毛もばっさりショートにし白髪にはヘアマニキュアのグレイを入れ

あとは自分で前髪を切りつつ年2回かあるいは1回で美容室はすむ。

 

洗顔・入浴・外出の敷居が低くなり堅実に暮らせるようになった一連の流れに

感謝している。また田舎とは違い近所や地域の目が排他的でない東京暮らしにも。