小鬼出身。
社会にかかわろうとすると病院などにはじかれてしまう、
私の人生は不思議とそうでした。
もっと若い頃はそれを傷にして生きてきたようなところが
ありましたが50歳を目前にした私はそのあたりから
離れたようです。たとえば職を探すという方向へ曲がりなりにも
行こうとすると不思議と反対の意見に合う、
そのことを(あまり)嘆いたりしないようになりました。
(あまり)としたのは周囲からするととても強情に映るらしく
小さい頃から無駄に強情にして生まれてきた身からすると
( )をつけてお茶を濁したくなるものです(笑)
夫からは「自立しようとすると我が強くなったり反発のエネルギーが
高まる」と評されるなど意地で生きてるところがあるみたいで
さすが丙午年の女、という八百屋お七な女性を地で行く性質だな、と
自分でも幾度も再確認することになります。
激しさと自分、というのはいまだに切っても切れない間柄にあります。
小さい頃の写真を見るとまるで小鬼のようにきっつい顔をしています。
今では加齢により表情はやわらいでいますが
自分の中の悪魔時代を知っているだけに今の自分のほうが嘘臭い気がします。
悪魔的な自分に生まれついて
精神病という病を得ながら自分を旅していく人生を選んだ。
「タフなメニューだね」夫が言います。
副作用も保護室も一言では言い表しにくい経験でした。
映画「アマデウス」ではラストシーンに語り手が精神病院に送られた、
という描写だったと記憶していますが、
牢屋の箱みたいなものに彼が詰め込まれて助けを求める片手を伸ばす、
というシーンに今も胸を掴まれたままそれについての言葉を持っていません。
誰かの抱く苦しみは本当にないがしろにできないものです。
小さくとも大きくとも決して同意できるものではなくとも。
イコール生きていることだから。