不安含みの放任(にならざるをえなかった娘)。
エゴで生きていた頃はエゴの意味がさっぱりわかりませんでした。
それが自然だったから。そっちのほうがしっくりきていたから。
こういう子供に母親は特にどう接してよいかわからずに
「不安含みの放任」というかたちをとりました。
自分からは教えず子供に気づかせていくやりかたです。
私は親から制限される地獄は味わわずに済みましたが
実生活ではただ無知なだけにだいぶ苦労しました。
「普通はこうするものだ」がすぐ理解できなかったりとか。
中学の家庭科の教師には「観音崎さんはできない人」
という烙印を押されあからさまに下に見られたりとか。
そういうのは母の目論見通り大人になって解決していきました。
たとえば料理など。自分で覚えていくのはとても楽しかったからです。
夫と一緒になる前は汚部屋のほうが落ち着く、といった感じの自分でしたが
出逢う直前には一週間の曜日ごとに掃除・片付けのこれをやる、と決めて
ある程度合理的に動けるようになっていました。
風水の考えの影響もありました。
玄関のたたきまで磨くようなそれまで無かった自分に変身した頃に
生涯の伴侶に出会えたことは自分で掴んだ得がたい経験です。
教えられるより自分で掴んでいくスタイルは
母がそのように暖かく見守ってくれていたおかげ、
そして(ハナから聞くことをしない娘)にする対処法だったわけですが
それらが奇跡的にいい感じにまとまった、まさに
人生末広がりコースの段階をいったわけです。
「園芸もね、その年になればできるのよ」
何度も母が申しておりました。ふむ。これからできるようになるかしら。