精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

ただ、とめられない。

保護室をはじめて使ったのは個室がわりだった筈。

入院生活でたえず人が周りに居る状況と心理的に落ちている状態のときにスタッフが止めるのも聞かず自分で閉じこもった。

勿論、鍵はかからないので人の出入りは自由で心配してくれたお友達が様子を伺いに来たりしていた。それもただ煩わしい精神状態だった。

 

真の意味で保護室に入れられた経験もある。相当混乱していたのだろう、入室の記憶がまったくなかった。気がついたらクワイエットルーム。なぜかあった鉛筆で壁じゅうに落書きをしている自分がいた。後から「分裂症」だったんだよ、と言われたが、病状についての詳しい説明などない時代ではあった。ただ記憶がない、というのがショッキングだった。自分は全然病が深くないほうだと油断していた。

 

分裂症は人格が分裂したのではなく脳内の伝達物質がそうなったということらしい。

知識のなかった当時は本当におかしくなってしまったのだなあ、とかなり落ちこんだ。服用したお薬の数は11錠を1日3回。これは医師が変わったら1回3錠くらいに減ったんだけれどかなり極端な量だったと思う。退院しても表情と動作の怪しいのがずいぶんと残っていた。その頃の写真は振り返りたくない。

 

夫は「世の中のここからここまでのレンジに合わせるための調整でお薬は出ているんだろうね」とあらわした。さすがに私も脱線人生を送ってきたので精神の逸脱は本当に困る。自分でとめられないから本当に困る。この頃を思い出すと言葉がない。さまざま心に突き刺さる出来事もあったが医療がここまで進んでいた現代にただ感謝だ。