憐れむなかれ。
プレミアム土曜日だからこそ、掃除に精を出した。
まぁ書かないが。夫から「掃除した時だけ嬉しそうにブログに上げないで」との
お達しがあった。んなん、自己満足の世界だ。別にいいじゃんよーってわたしは
思うんだけどな。
「規格外の私の尻拭いを何度もさせてしまって申し訳ありませんでした」という
メッセージカードの文章を(おそらく)母は読解不能なんだろう。それならそれでい
い。実家の大人たちの目に触れたらそれでいい。母にはたましいの病院へ行かなければ
ならぬほど今現在では通じないだろう。前のわたしの結婚解消のあれこれを「そんな
面倒くさいことを」と留守電に吹き込んだひとだ。アナタが決めた結婚だろうが。
たぶんそれも含めてのいいタイミングだったであろう。わたしたちの再婚は。
この頃、夫の機嫌のすこぶる良い時は天井知らずに高い。
わたしは過去を手放せたのだ。もう後ろ髪を引かれることもない。
まったく無価値なものに何故あれだけ執着してただろう。
馬鹿みたいだ、自分て。馬鹿だった、わたし。
自分で言うぶんには良いが他者から言われるそれは我慢がならない。
「お前だって〇〇が▽▲✖だろがぁー!」と感情は反論しまくる。
夫に対してわたしがキレた際に彼は瞬間、憐れむような表情を、した。
「可哀相に!」と言い放つ人々の感情の向こう側の高揚感を思う。
下に見ているんだ。わたしを。でないとそのひとは生きられないくらいの
闇を抱えている。憐れむなかれ。そのことで気分良くならないでくれ。
わたしは母を含むそのかたがたを苦々しく思うだけです。
目に見えるもの・見えないもの。
例えば「心を観察する」という表現。
これがちょっと前までは分からなかった。
今ではわかる。自分を理解してあげることに繋がっていくからだ。
自分は自分が分かっていればいい。
それが誰か(たとえば好きな人に)であれば尚、精神衛生上いい。
最近ではその誰かに伝えなくとも平気になってきた。
言葉は少ないほうがいい。自分にも負担だし相手にも持たせる感情は重いだろう。
心を観察するのに飽いたら身体を物理的に具体的に動かす。
ラジオ体操や軽いヨガで逃す。身体が伸びると気持ちが晴れ晴れする。
気持ちの重さは揮発する。あの空で虹の七色になるのだ。
目に見えるものと見えないものでウダウダ心が言い出したら気をつけよう。
ただそれだけだね。なぁんだ。簡単じゃん。
この積み重ねが自信になる。不安に揺れることのほうが必要なかった。
今日は冬至。これから少しずつ日が長くなる。暖かくなる。
心の分岐点までGOだ。きっと楽しいよ。今よりもっと研ぎ澄まされた自分になるよ。
切り離すイメージで、手放した。
母とわたしは女同士だが人格が違う人間だ。
いつもフラッシュバックする苦い思い出は完全に許した上で切り離そう。
そもそもが違うのだった。
考え方も生きる意義も、見事に違う。話す語彙も果てしなく違う。
丈夫に産んでもらった恩義はあるが、歩く道すじが違う。
彼女が怖いと思うたとえば「水たまり」をわたしはポンと飛び越える。
母が使う絵の具は淡すぎてわたしは敬遠する。
薦められる人生の岐路の内容はわたし好みではなかった。
それだけ違うから、「今がこう」なんだと思う。
ハサミで切り話すイメージで手放す。それでいいんだ。
雑多な感情や思い入れなど挟む余地もない。
ぐちゃぐちゃになったラップを深呼吸ひとつして戻し孤独と向き合う。
いやーまいった・まいった。
浅漬けの小皿にね、ラップをかけようとしたの。
手もとがすべって哀れラップは端っこがわからなくなっちゃった。
切り口は半分見えない・ああう!
わたしは一時パニクったが順番を経てラップの端を見つけた。
こういう場合はセロテープみたいなもので端を探索するのが早い。
我が家のテープは大判だ。100均のそれは切る箇所が無い。
キッチンばさみを持ち、テープと格闘する。
テープが取れたらラップに対峙する。
で、ラップはめでたく端が見つけられた。
神様は酷くパニクったわたしをご覧になっただろう。
決して褒められた態度ではなかったことを記そう。
ただ、ブログのネタにはなった。
今日の浅漬けはそんなわけでドラマだったの。
ひとりきりで向き合ったストーリー。
過ぎてしまえば皆うつくしい。
「過ぎてしまえば皆うつくしい」とは歌謡曲にあった一節だ。
喉元過ぎてしばらく経てば出来事の苦味は消え事実だけが残る。
あの頃のわたしに伝えたい。「あのね、今苦しくてもそれでも生きてごらん。あなたは
絶対に幸福になるんだから、信じてごらん」泣いてるわたしに半世紀は生きたわたしが
伝える。心は届くだろうか。寸分の狂いもなく素直に伝わりますように。頑張れ・わた
し。
おおむね静まった湖水。
おおむね静まった湖水。…綺麗に書きすぎ!
加齢とともにあれこれ騒がなくなった。わからないことは質問する。
「聞くは一時の恥」だけど聞いて損はない。だから聞く。
新しい世界が広がる。経験値が「ちゃりん☆」と貯まる。
わたしが豊かになる。
今日の厨房班で足りない野菜を発見。
買いにゆかなくては。空模様と相談なう。
うーん、微妙に曇りなんだよね。予報はこれから晴れるらしいが。
降らないと決めて出かけましょうかねー
壁を越えたら寛解。
今、向かっている壁を越えたら、寛解みたいなものじゃないか、と夫は述べた。
そう、壁が出現したのだ。
わたし側としては昨日と変わらぬ日々に戻るだけだから、
その壁についてどうこう言うつもりはない。
ただ、悲しいばかり。
たとえば「デイケアに自分のことを客観視しているかたは皆無だっただろうね」
夫は言う。客観視。逃げずに見つめる。そして身の回りのことを淡々とする。
わたしは苦手な家事をこれからは寛解のリズムで出来ると考えている。
「ママが野菜を刻んでる♪」だいすきなクドカンさんドラマ「監獄のお姫さま」の
劇中歌だ。これからは苦手な野菜切りも寛解のリズムで取り組める。
わたしがそう選んだら現実は変わる。劇的に。
新しい自分よ、こんにちは!
今、取り組む。
周囲を見ていれば解るのですが
どれだけ「今」に立ち向かい取り組めているか、が鍵なんだと思います。
後回しや怖気づくなど多くのかたが今に背を向けて押し黙る。
それでは空気は動かないでしょう。
自分がまず動かなくては。ムーブ。踊り出すんだ。
宝の地図はあなたの心の中にある。見ないふりはできません。
どうしてでしょう。あなたがはかばかしくない結果しか手にできないのは何故?
本当はわかってる。ただ取り組まないだけだ、と。
怖い、怖いとジャンプしないだけ。
命綱を信じていない、信じられない。
わたしはそこに暗闇を思います。
何をおっしゃっているのだろうか、と。
取り組んでください。
そんなに顔をしかめないで。
飛び込んでみた先の虹の七色を教えてくださいね。
100人に1人の統合失調症。
100人に1人は決して少なくはない割合なんです。
学年にひとり統合失調症が発生するとなると、多いでしょう?
怖いのは99人が排除にかかる世の中なんです。
99人が怖い。まったくひとりぼっちのとき幾度も命を絶つことを思い描きました。
だけどできなかった。母親も「自殺の)真似ごとなんかして」取り合ってくれなかっ
た。本気だったんだけどな。前の結婚で救急車に乗った時も本気で死にたかっただよ。
やめてよ。つまらないパートナー押し付けて安心しないでよ、おかーさん。
わたしは自力で再婚に踏みきりました。故郷を棄てる覚悟を決め(その遠心力の強さ
よ)全員が全員幸福な再婚になるとは書いていません。わたしの病は現夫に理解を得る
までの道のりがありました。これから先の不安もないわけではありません。ただ今を生
きる。わたしの「今・できること」への集中と取り組みはこれからも綴りたいと考えて
います。100人に1人。決して少なくない割合。