精神的な壁・ひらりと飛んで虹。

やはり心のことを書こうと思い直し。

先ず隗より始めよ。

夫から賜った言葉に

「先ず隗より始めよ」って故事成語があります。

身近なところからせっせと仕事や用事をこなして「さぁこれからが勝負」

なのだ、と。見えないところで努力する。お天道様は観ていらっしゃいます。

あなたの努力。それは誰に見えていなくとも心を磨く作業となるでしょう。

 

夫が力任せに怒鳴るのではなくメールでこの故事成語を伝えてくれたこと。

優しさが染み込んだのをこれからも忘れないでいましょう。

 

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今、取り組む。

周囲を見ていれば解るのですが

どれだけ「今」に立ち向かい取り組めているか、が鍵なんだと思います。

後回しや怖気づくなど多くのかたが今に背を向けて押し黙る。

それでは空気は動かないでしょう。

自分がまず動かなくては。ムーブ。踊り出すんだ。

 

宝の地図はあなたの心の中にある。見ないふりはできません。

どうしてでしょう。あなたがはかばかしくない結果しか手にできないのは何故?

本当はわかってる。ただ取り組まないだけだ、と。

怖い、怖いとジャンプしないだけ。

命綱を信じていない、信じられない。

わたしはそこに暗闇を思います。

何をおっしゃっているのだろうか、と。

取り組んでください。

そんなに顔をしかめないで。

飛び込んでみた先の虹の七色を教えてくださいね。

 

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100人に1人の統合失調症。

100人に1人は決して少なくはない割合なんです。

学年にひとり統合失調症が発生するとなると、多いでしょう?

怖いのは99人が排除にかかる世の中なんです。

99人が怖い。まったくひとりぼっちのとき幾度も命を絶つことを思い描きました。

だけどできなかった。母親も「自殺の)真似ごとなんかして」取り合ってくれなかっ

た。本気だったんだけどな。前の結婚で救急車に乗った時も本気で死にたかっただよ。

やめてよ。つまらないパートナー押し付けて安心しないでよ、おかーさん。

わたしは自力で再婚に踏みきりました。故郷を棄てる覚悟を決め(その遠心力の強さ

よ)全員が全員幸福な再婚になるとは書いていません。わたしの病は現夫に理解を得る

までの道のりがありました。これから先の不安もないわけではありません。ただ今を生

きる。わたしの「今・できること」への集中と取り組みはこれからも綴りたいと考えて

います。100人に1人。決して少なくない割合。

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田んぼに蛙。あの夜みた風景。

最初に言おう。布団ひと組みをダメにした。

2回めの隔離状態(保護室送り・他者を著しく惑わせるため)のある夜のこと。

わたしは田んぼにいた。夢じゃない。トイレットペーパーで「ばってん」を

入れなくては、と必死だった。そうこうしているうちに巡回のナースが来る。

「何やってるの???」わたしの動きは「きゃっ!」吃驚して止まった。

田んぼで泥だらけで蛙も居た。翌日思い出し「A先生ってもしかして

早稲田出身!?」と看護師さんに聞いた。答えはYES。

看護師さんは後に「観音崎さんは妙に辻褄が合うんだよなー」と不思議がっていた。

ただの偶然なのだが。

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A先生は当時北海道から飛行機で出勤なさっていた。

夫とも話した。「これから薬を増やします」と先生。夫は「偏った印象は

あっても手ごたえを感じた」という所感を抱いたらしい。

かくてA先生の七色のお薬処方は現在の3倍の量に決まった。

わたしはその年の3月に退院を果たした。

入院時の書類に「目安として入院期間は3ヶ月」を少し超えたあたりに退院は叶った。

 

保護室で見た田んぼに蛙の幻覚は今でも鮮明である。

夜、布団に入って泣いて泣いて過ごした頃のこと。

ある日、夫と恩師が面会に来た。夫は「数年前に一緒に来た国立の病院だよね?」

と後に確かめてきた。わたしは「そうだよ。帰りに祝砲鳴らしたあの病院だよ」

苦しかった、やはり国立にはいい思い出が少ない。

ドラムのように。

www.youtube.com

 

思いのたけをドラムにたたきつける彼女。うらやましいと思った。

ううん、ちょっと違う。うらやましいのとは違う。

わたしが10代の頃、周囲の大人たちと感じた想いと、この気持ちは一緒だ。

大人たちにこちらが喚起させた想いは同じだ。

時代のせいじゃない、環境のせいじゃない。

舞台の真ん中にあの頃わたしも確かに居た記憶がある。

YouTubeに載っているドラムの彼女は時折微笑んでいる。

楽しくてしかたないのだろう。

 

楽しくて楽しくて周りもつられて楽しい気持ちになる。

あの頃、確かにあったこと。有ったんだ。

心は楽器を演奏するようにわたしも時代を奏でていたんだ。

性別・女子だったから逃げ場はあった。

10代では独身時に「家事手伝い」という立場でいられた。

20代以降「専業主婦」って括りに逃げられた。

女子に生まれた特権を生きたなぁ。男の子だったら辛かっただろう。

「男は働かなくちゃね!」衒いなく言ってのけた大学生がいた。まぶしかった。

「ハイジもドカベンフランダースもリアルタイムで見たよ」というと

「すげー。俺BSだった」うんと年下の男子。自分で自分のことを「古風」と言っちゃう

そういうところあった。その頃わたしは「非定型精神病」と命名された病を持ってい

た。躁鬱と分裂の「あいのこ」みたいなニュアンス。偶然に誕生日がわたしと同じ患者

仲間が「非定型ね、俺もそうだし」と意気投合。のちにわたしは上京しここで付けられ

た病名は「統合失調症」あ、結構ポピュラーになったなぁ。印象がね。そして今も専業

の主婦。だいぶ夫に依存してはいるものの。昨日もそれで叱られた。「僕に依存してい

るのは正直僕はきつい」現夫は正直だ。なんも飾りをつけずものを言う。

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昨日は編み物をしていて食事の支度が大幅に遅れた。それを叱られた。

わたしが悪いのだった。彼は予約時間までに皮膚科に行かなければならなかった。

そこでわたしがぼやぼやしていてテキパキやらずに彼のお怒りに触れた。

 

わたしは誤解した。編み物を否定された、と泣いた。

ところがそうじゃなかった。「食事の支度を苺は僕に依存しているね。もっと自立

してほしい。僕の言いたいのはそれだけ」昨日のうちに誤解がとけて良かった。

 

専業主婦は今や2%という。「苺は特権階級なんだよ」夫は言う。

これからは自立を目指してGOだ。甘えるな、夫に自分に。ものみなすべてに。

わかってもらえぬアカシジア。

アカシジアの苦痛は一般的な健常者には理解しがたい症状です。

アカシジアばりばり出ていた時、実家にて階段を昇り降りするわたしに母が

怖そうに「お薬、変えてもらったらぁ~(おろおろ)」と言うのが精いっぱい。

 

また前夫さんは「内省的なものだと思います」医師「そうよねぇ~♪」と

話してるのを聞いてわたしは絶望しました。そうじゃないんだ。近くに居ながらにして

わからぬひとと生活していることにまず絶望。そして失望。

 

わたしは再婚をしました。現夫はアカシジアをほぼ理解しています。現在服用している

お薬で「ロドピン」と正式名称がわかった時点で薬局から医院へとって返し医師に話を

伺いに行ったくらいでして、その迅速な行動に感銘を受けました。感謝です。

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打てば響く夫に出会えて運命的に嬉しいです。

 

さて現在はお薬も進化してわたしはアカシジアを出すのは「クラシックタイプ」の

ロドピンであるらしいです。今現在の新しいバージョンは悪さをしません。

医師も理解の上、使用したらしいです。アカシジアアカシジアと声をはりあげなくと

も済む時代になりました。よ、よかったぁ。助かった。お薬の開発者さま感謝いたしま

す。これからもわたしたち患者が飲みたいお薬をどうかお願いいたします。

初めての入院とアカシジア。

入院生活もほどなくしてそれは訪れました。

「か、身体が震える」自己制御はできません。

そのまま横になっていられればいいのですがアレって「座れない」と言いますね。

着席をキープできない状態。身体が微妙に振動して気持ちが悪い。

心臓が飛びでそうになる時もありました。

16歳のわたしはそれを表現するすべを知りません。

のちに診断書を見る機会があり「アカシジア」という名称を知りました。

お薬手帳の副作用を書く欄にロドピンのクラッシックタイプを服用すると

アカシジアが出る、と記入しています。

 

わたしが10代の頃はお薬手帳すらありませんでした。

しかも医師や看護婦からアカシジアを無いことにされていました。

「また観音崎さん、状態崩してるわ」その程度の認識だった、と思います。

 

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早くこんな環境から脱出したい。退院は当時両親に訴えて実現した、と思います。

ノートに書く字が左手で書いたような大きく震えた字になって

しかも1分に1文字程度書けるかな、という感じだったので

わたしはその春、高校を中退しました。学業どころの状態ではありませんでした。

 

両親は通信制高校を薦めてきましたが取り寄せた書類に「スクーリング」という

文字を見て抵抗を感じたわたしはそこで思考停止。

「どこへも行けない」17歳で行き詰まりを思いました。手詰まりです。

 

初めての入院生活は病棟最年少、という立場でそれなりに可愛がってもらえた

けれどもそんなの最初のうちだけでやがて身の回りのことが何にもできないのを

知られていくと呆れられるようになり、チクチクいじめられたりもしました。

昭和のあの頃。わたしは初めてだらけで世の中の片隅に吹き寄せられたのでした。

私の16歳。

16歳はわたしにとって重要な年齢でした。

次々おない年の女の子たちが芸能界デビューを果たし、

わたしは日常であがいていました。

高校はギリギリのところで男子校を選び(工業デザイン科・男女半々)

母の後輩にあたる高校だとのちの人生で分かり、どでびっくり!

(とてもびっくりした・のお国訛り)

道理で近所の奥様が「蛙の子は蛙ですね」とおっしゃられたんですな。

ここのタイトルは深い意味はさほど無くフィーリングでつけました。

わたしの16歳は精神科・初入院をした年齢であります。

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両親からの無理解によりわたしは「変わった子」という烙印を押されました。

表現場所があれば精神の均衡は保たれたかもしれません。

ですが、排他的な田舎育ち。

家の近所に国立の療養所がありしかも中学の学区内。

入院して通された部屋の格子越しに中学の友人のご自宅が見えたものです。

 

「国立の病院のお薬を飲むとすごくイイの!」父方の叔母がおっしゃいます。

彼女には合っていたのでしょう。

んがしかしわたしの初入院は副作用アカシジアで苦しみました。

来るときは突然でランダムにそれは襲ってきます。

解消法は「ひたすら歩く」座ってなどいられないのです。

あの頃は清掃の職員さんのお邪魔をしてごめんなさい。とても苦しかったのです。

 

「精神的な壁・ひらりと飛んで虹」はこうして再開しました。

次回はアカシジアについて掘り下げたいと考えています。

危機管理・Web上に拠点を置いて。

体重の管理はWeb上で出来ている。あとはつべこべ言わずに流れに任せよう。

だいたい現在の数値で大まかに観て、ばんばんざいなのだ。

これ以上望んだら健康を失いそうで怖い。

栄養をしっかり摂って(野菜中心にね)たんぱく質も選ぼう。

しゃんしゃんと歩ける体力を持とう。それには日々のウォーキング。

歩数もWeb上に記録している。地元を出発し東京に向けてバーチャルなわたしが

今住む街へ歩いている。記録・記録・反省のまいにち。

混乱しそうな時はメモをとろう。文字に起こすのは冷静なわたしの開始地点。

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あとは幸福に向かって歩こう。楽しい未来を描いて明日も生きるのだ。